昭和の風林史(昭和五七年七月二一日掲載分)

原点に戻って相場を見る

値段としては、よいところにきているから安値を叩いてはいけない。

小豆相場は下値圏に届いたとみる人と、現物市場の荷圧迫で相当長い低迷を続けるだろうと考える人にわかれる。

建玉の方は一応終戦処理が終わるところ。

考えてみると、取り組みも細ってしまったし、先二本だけの限月では重い病の人が辛じてお粥を口にするような小豆市場である。

決して無理のできる体力ではない。

しかし、天災期はまだ残っている。

限月二本に投機が集中し値段も低ければ一度天候に異変が生ずると55年夏のようなアンペア(電流)メーターの針は走ってしまうこともある。

本年五月、六月の相場はボルト(電圧)メーターが高く電流が走らなかった。

この場合、ボルトというのは取り組みであり、アンペアは上昇値幅のこと。

近年の小豆相場は夏に一相場の山を作り、秋にかけて底を探り、そして春に向かってまた高い。春高か青田底になる―という繰返しだった。

このパターンがまだ生きているとすれば、小さい山でもよいから七月末から八月にかけて、あるいはもう少し遅れて八月から九月に反騰するだろう。

逆に下げ相場がこれからも続くとすれば業界はさらに沈滞する。

できることなら、上げ波動にのって、業界が元気を取り戻してほしいものである。

強弱は慌てることもないが、ここ両日、相場の動きと商いの進み具合いをゆっくりと見定めて方針を決めたい。

●編集部註
 冷静に考えると、この時の悲惨な相場展開は、明らかに人災なのだが、ハッキリと〝天災〟と言ってしまうところに相場師としての矜持がある。
 過去の事を検証する事も大事だが、相場は現在進行形であるが故に、相場師は今と未来に目を向けなければならない。それが上記の文章にハッキリと表れている。今と未来のために、過去を振り返っている。この崩落相場が風林火山の言う通り天災なら、これは一種の〝防災〟と言えよう。天災は忘れた頃にやってくる。
 この時期、日本は梅雨であった。初めの頃は空梅雨であったという。
 しかしこの頃から西日本各地で活発化した梅雨前線の影響で大雨を記録。この日はいったん小康状態になるが、23日頃に再び活発化する。
 特にこの時、長崎県では集中豪雨災害に見舞われる。市内にかかる重要文化財、眼鏡橋は半壊。死者・行方不明者299人、負傷者805人、被害総額は年時価で315 3円にのぼる未曽有の大水害となった。