昭和の風林史(昭和五七年七月十四日掲載分)

場勘入らぬとはなに事ぞ

買うだけ買い上げておいて、もう銭が続かんとは無責任にもほどがある。

小豆市場は最悪事態である。買い仕手の土曜の場勘が入らん。取引員の違約除名処分などに絡んで市場は混乱している。

売り方には怨念のようなものがある。山を売り、田を売り、妻と離婚までして耐えてきた―という人も多い。生命を賭けて売り耐えてきたのである。

買い店機関店K社は『場勘が払えない。あとは取引所におまかせする以外にない』―と。

それは、あまりにも無責任ではなかろうか。

行き過ぎた投機の結末がどうなるかは誰にでも判っていたことである。

取引員のオーナーとしての責任が問われるのは当然。

関係取引所の無策、無能、異常なしという当初の態度にしても責任が問われる。

事態は市場管理面と主舞台になった取引所の事務局責任者の状況判断の甘さである。こんな事はきわめて初歩的な失態である。

小豆市場の不祥事件は商取業界全般の信用にかかわるし、小豆の上場廃止という不幸にもつながる。

買い玉の肩替り、あるいは投げに対して玉を合わせる方法、あるいは解け合いなど過去に経験してきたことであるが、市場を維持し、市場機能の早期回復へ業界挙げて協力しなければならない。

六本木筋は規制強化を不当としているようだ。52年仕手崩れの時も買い方からそのような意志表示があった。

戦い済んで日が暮れて―という、むなしさだけが残る。孫子兵法「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからず」と。

●編集部註
 BGMはこの頃に発売された郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」だろう。
 悲劇と喜劇は紙一重で、この時買い方にすれば壮大なギリシャ悲劇だが、売り方にとって見れば滑稽なフランス喜劇である。モリエールの『人間嫌い』のようなものだろう。
 相場の崩落場面は、映画の題材にしばしばなっている。商品先物取引であればジョン・ランディスが監督したエディ・マーフィとダン・エイクロイド主演の『大逆転』というコメディ映画がある。
 公開が1983年なので、この時の商品取引業界がどんな感じであったかを知りたい人はこの作品を観ると良い。
 株式相場が舞台の作品はもっと多い。『コズモポリス』や『マージンコール』のようなサスペンスタッチの作品もあれば、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『マネーショート』のような、実話を下敷きにした作品もある。