昭和の風林史(昭和五七年六月八日掲載分)

ただただあきれるばかり
 
相場がコワレている。それも相場といえばそれまでだが、こんな相場見たことない。
 
小豆の買い方は場勘よりもテコ入れ買いのほうが資金的に効率がよい。

東穀の期近増証規制も『まあこの程度なら』と買い方は安堵。

東穀規制の本質的目的と精神を甘く見てはいかんと思う。東穀は打つ手がないじゃないか―と軽視していると、あとから買い方しびれてくる。

それにしても、こんな相場見たことない。

なんと申しましょうか、お金の力と小豆市場の狭さというか。大量現受け、大量買い建て。
そしてこの逆ザヤ。この過剰投機現象に対策できないという穀取業界も自らを考え直さねばならない。

市場管理等の規制はガンジがらめにあるわけだが、その精神を踏みにじられては、なすすべがない。

当然、一般大衆は市場から離れる。

現物筋は物の売れない時の逆ザヤは結構なことで売りつなぎ、そして渡す。

しかし市場間の価格が平準化しない事。現物が偏在して円滑な流通を阻害している事。果して今の相場が公正価格の表示なのか。

取引所機能の問題が発生してくる。

買い方は、買わねば潰されるから自衛のためにも防戦するのだ―という考えだし方針だが、自ら深みにはまって退路がない。

相場は、かなり疲れが出てきた。本当はこれが一番怖いのである。

相場は人為の及ばざるもの。かのハントの銀買い占めにしても結末は相場に勝てなかった。

沢山の人から電話がかかってくる。ポジショントークではなく市場の先行きを心配する。また、人気離散を憂慮する。

各市場バラバラの値。そして、ひどい逆ザヤ。
 相場がコワレた感じがするのは筆者だけではあるまい。困ったことである。

●編集部註
 世の中は、本音と建前で出来ている。
 昨今、ついつい本音を是とし、建前を非とするを良しとしがちな風潮があるが、一概には言えず、物事はそう単純ではない。
 本音はどうであれ、建前論を前に置かないと進まない事もある。商品先物市場の〝平準化〟などはその代表例といえよう。物価を安定させるために投機を使う、という建前が崩壊すると、単なる伝介賭博になりかねない。
 平準化機能が上手く働かないのであれば、存在する大義名分がなくなり、存在価値自体もなくなってしまうのだ。