昭和の風林史(昭和五七年六月二十四日掲載分)

〝死に体〟になってしまった

買い屋が買って手応えがないことは死に体になってしまったことを物語るのである。

お月さんは23日が闇である。22日の日経紙トップに来年四月から実施する70品目関税引き下げ〔開放策第二弾〕は、小豆買い陣営に落ちた不吉な雷であった。

20日・木曜から手亡が崩れていた。相場は知っていたのである。

小豆のS安で週間棒は話にならない悪さだ。

買い方にツキがなくなった事を感じる。

このような時は、材料面や仕手動向を一切見ざる聞かざるで、線一本、お線香から立ちのぼる煙を見ているようなつもりがよい。

納会受ける、受けには関係なくなった。受けて相場が生き返るものでない。

建玉制限の問題が出てくる。

仕手崩れか?と言う。それは判らんが前兆であることは確かだ。なにごとにも前ぶれというものがある。

五月は四日新甫だった。荒れるにしても荒れようが違う。五月六日の安値(大阪三万一千円)以下があるか?と言う。

あれば三万円大台割れに直撃する。

52年本忠相場は二月節分天井。六月底抜け万円崩し。

今年は二月10日天井。五月後半底抜け。万円崩しに移れば二万六千円なしとせず。だが、産地のお天気=作柄は、まだ海のものとも山のものとも判らないだけに、買い方、気やすめのとまり木はある。

行きだしたら三万一千円割れから下が大きくなる。それが怖い。買い屋に見合う巨大な売り屋がいない不幸かもしれない。

もう少し時間を食ってからくると思ったが、待てしばしの間(ま)がもたないほど相場は熟していた。

東西取り組み合計七万枚の一割五分減になるまで流れに加速度がつくと見るのが定石だろう。その時の値段は判らない。げに相場の怖さよ。

●編集部註
 この時点で、日足はまだ高値、安値共に切り上がりの線形を見せている。
 しかし、この時点において「なんかこの相場おかしいぞ」と感じるのは相場師の嗅覚であろう。
 相場は意地悪なものでストップ安から一転急騰する。しかしこれで買い方が安堵したのもつかの間、弱保合から奈落の底へと崩落する。そのあたりをどう描写するかを前もって知っておくと、今後の相場を生き抜く上で、何らかのヒントになるかも知れない。
 銘柄は変われど、あれた相場の中での人間模様は何かと勉強になる。