昭和の風林史(昭和五七年五月八日掲載分)

薫風燕返し売り屋を斬る

大底確認。出直り出発進行の号砲。四千円まで一瀉千里であろう。流れが変わった。

目に青葉だが、目には目を、歯には歯を。

S安には愛をこめてS高。これが相場の大底入れのセレモニーである。

大阪が三万一千円(7日)と安値を叩いた日の出来高が一万七百枚。

先月23日、26日、27日と下げながらの大出来高。そのトドメのような商いだ。

東西取り組みがジリッ、ジリッとふえている。完全な安値取り組みだ。

大阪節足新値31本の四千六百二十丁下げ。

天候相場はこれからだというのに出来秋の安値にあと四百十円でとどくところまで叩いては、そんな馬鹿な―と僕は思った。

富士山でいえば登り口よりもっと下まで駈け降りた格好。

要するに五月新甫のS安は、無用の下げだったわけだ。ものには相場というものがある。安値を叩いた向きは人の不幸、即ち仕手崩れを願ったわけで、資力十分の六本木にすれば、売り玉一網打尽の絶好チャンス、風呂敷に包んでしまった。

これで下から強力陽線三本立てれば、昭和57年度の大底が明示される。

すべての軟材料は織り込み済みという幟を建てる。

集中入荷を騒いでも、それは二千五百四十万㌦発表時に判っていること。

トレンドは三千百円あたりの窓、三千七百円どころの窓、恋の丸ビルあの窓あたり埋めるのは簡単。

だから三万四千円は燕返しである。

東京の巧者筋も相場の流れは変化したとドテンしている。買い方二大支柱は新戦略。薫風五月颯爽。

五月は売り屋が相場を高くする―と書いてある。そして硬材は後から貨車でくる。弱気征伐だ。

●編集部註
 窓、マド、GAP―。チャーチストにとって、この価格と価格の隙間は非常に重要な指標である。
風林火山がこの時指摘した通り、その後の相場は、艱難辛苦の上下変動を繰り返しつつ、上げトレンドを形成し、4月に出現した窓を6月頭に埋める。
 しかしこの窓埋め、東京市場で見ると5月末からの大きなGAPアップで生じた窓埋めだった。相場基調は、ここから変容を見せる。ここを柔軟な頭で臨機応変に対応出来たか否かでその後の相場成績が大きく変わってしまうのだから、相場とは皮肉なものである。
 相場とは全く関係ないが、82年の出来事を知らべていて、この年の4月に吉本興業が大阪でタレント養成所、NSCを設立。その一期生として、今のダウンタウン、トミーズ、ハイヒールなどが入学していた事を知る。