昭和の風林史(昭和五七年四月二十六日掲載分)

しばらくは強弱なしです

ひと相場終わったから強弱なしである。値としては止まる所。深追いは感心せん。

小豆相場は長い間、買い方の柱だった六本木筋の陣営に変化が生じて一種の仕手崩れである。

今回の下げでも判るように、相場はいかに日柄が重要であるかを再認識させた。

それはどんな強力な仕手でも相場が老境に入れば、人為の及ぶ所でない。

安値に崩れて、出来高が急増し取り組みが減少するのは、投げに対して売り玉の利食い。ひと相場の終着駅である。

辛抱していた当限の売り玉が利益になりましたと読者からハレバレした電話がかかってくる。今後はもっと楽な相場をするよう勉強します―と。

いつの場合でも大きな相場の後にはいろいろの教訓が残る。

今回は六本木筋や桑名を過大に期待したこと。

三晶の売りを軽視したこと、政策を無視したこと。

三段上げは終わっているのに自分の都合の良い方に解釈していたこと。

相場が終わってそれを振り返れば、なるべくしてそうなった事ばかりである。

買い屋の天下から売り屋の天下に変化したのが、四月新ポである。買い玉が大きければ大きいほど気がついていても転換ができない。

目先的には大体とどいた値段に入った。

三万円割れだ、二万八千円目標だというのは言葉の勢いで現実的でない。

安値で売り込みがふえれば、つかまるが、むしろこれからは値頃観の買いがでるだろう。

四千円は笠である。今年の天候がよほど悪くない限り大きな上値は望めない。しばらく様子をみるところだ。
●編集部註
 相場には上り坂、下り坂。〝魔〟坂という三つの坂がある。これは投機でも投資でも同じである。
 大概、この三つ目の坂でもんどりうって転んでしまう、というのは相場を体験した人なら誰でも理解出来るかと思う。
 相場は簡単なものではないという事は、相場で転んで傷ついた人ならだれでも理解出来る。
 昨今、貯蓄を投資に回せと言う無責任な人達がいる。きっと相場を知らぬ人、相場でまだ傷ついた事のない人なのだろう。
 昨今、眼前の問題に対し即断即決と解りやすさが好まれ、原理原則を曲げて迄、短絡的に解決しようとするきらいがある。
 対症療法と原因療法の違いとでも言おうか、本来は根本を直すのが本筋。 
世の中には投機はおろか、投資にさえ向かない人達がいるという事を知 っておくべきだ。そんな人物を相場の世界に引き入れるとどんな事になるかは、過去に起きた数々の事件が物語っている。