昭和の風林史(昭和五七年四月十九日掲載分)

下値が深くなるだけの事

とにかくいつ暴落しても不思議でない相場で、まさに昭和52年型。五月待たずにくる。

小豆市場は各節薄商いである。取り組みも東西減少している。

自己玉は売り増・買い減。

三晶の売りがひきも切らない。対して万年主力の買い姿勢。

大衆筋は売り玉手仕舞って、心もち買い転換気味。

という事は、実弾裏付けの売りがウエイトを占め、二本の柱の買いが抵抗している格好。

これをいうなら特等席の客だけで、他の席はガラあき。成り金趣味じゃあるまい。ただ買えばよいという大根役者のロングランは節回しにも起承転結の抑揚がない。しかしそれも芸の内、あくびをかみ殺して、ひたすら待つのみ。

五千円に乗せたら売ろうと待っていた人も多い。

乗せないよ。九百円まで戻して精一杯だ。千三百円下げの三分の一戻しの七百円台。こんなところです。

納会高いよと言うけれど、受けてどうなるものでもない。

それより当限引き継ぎ足の線型は頭三ツの山をつくり、黒の千円棒を陽線に変えたとしても頭四ツの山は孫子兵法でいう勝者の戦うは積水を千尋の谷に落とすが如し。要するに水を積む姿で水は低きに流れたがる。

相場の先行きを占う方法として建玉の水つかり度合いというのがある。

七、八、九限の三本限月は買い玉持っている人のほとんどが水つかりである。

ものの五百丁あと安ければ百%の買い玉は水面下だ。

安値取り組みの四月限は売り玉の負け。五、六月限は今のところ五分と五分。

ということは、世の中が買い屋の天下から、売り屋の天下になりつつあるということ。

だから本格下げは五月、六月とみるのもうなずける。四限の支えがなくなるし、受ければ受けたで肩の荷が重くなり、昭和52年の本田忠さん型である。

●編集部註
 本田忠氏の事は何度かここでも書かせて戴いた。昭和2年生まれの伝説の相場師。風林火山が最晩年に会いに行った人物だ。 数年前に亡くなられた辛口の相場記者、米良周氏が絶賛した人物でもある。存命であれば90歳を超えておられる筈だが、今どうしておられるのかなと第一商品のIR情報を覗いてみたら、株式情報の欄にお名前があった。堂々たる筆頭株主である。
 ご興味のある方は鍋島高明氏の『侠気の相場師・マムシの本忠 吉原軍団が行く』(パンローリング)をお読み戴きたい。