昭和の風林史(昭和五七年四月十三日掲載分)

この悪さまだ判らぬかと

小豆は四千円割れに向かっている。取り組みの細りが人気離散を物語る。肺患症状だ。

輸入大豆に人気が集中して小豆の商いは薄い。

また市場では生糸とゴムの買い方「T社」の先行きに対し早晩行き詰まりがくることを警戒した話題がもっぱら。

要するに金地金を見せ道具にして、その地金を預り証、紙切れと交換し、利息として前金で二割(いまは一割になったといわれているが)を先渡しする。

なんのことはない。自分の払ったお金の一割を戻してもらうのである。

契約期限が来た時に果たして預り証を金現物と交換してくれるだろうか。

新聞には毎日のように求人広告を出し、社員千数百人。見習期間日給一万円。初任給30万円というから経費も大変だし、東京、大阪で使用しているビルも相当な負担である。

それらを商品相場の投機で賄うことは至難である。

昔、保全経済会というのがあった。大々的な宣伝で大衆資金を集め、これを株式投資で運用したが償還の期限がくると支払い不能、取り付け騒ぎで倒産した。

T社の行く末は誰の目にも明らかであろう。

その時、生糸にしろゴムにしろ建玉のウエイトが大きいだけに、パニック状態が発生すると収拾つかない。

T社の玉を敬遠する取引員が多いことは、これは取引員の良識であろう。

さて、小豆相場のほうは崩れに入っている。悪いことに地合が緩んでも新規売り込まない。売れば掴まるかもしれないと用心している。だから商いは細々としたもので、商社のヘッジのウエイトが高まる。

●編集部註
 ここで登場する「T社」が果たして金のペーパー商法で社会問題化した豊田商事の事を指しているのかどうかは判らない。
 調べてみるとこの会社が設立したのが81年。この時は「大阪豊田商事株式会社」という名前であった。大阪という文字が取れて豊田商事になったのが翌年。社会問題化し、国民生活センターにこの企業関連のトラブル専門ダイヤルが登場したのが85年。その年の6月に創業者が刺殺される。
 風林火山は大阪で原稿を書いている。この地理的要因と、取り扱っている商品が商品だけに(もっとも詐欺なのだが)、もしこの「T社」が豊田商事なら、世間一般よりもかなり早い段階で問題点を指摘していた事になる。
 東京ゴム月足を眺めてみる。81年は一貫して下げ基調。それが翌年から上昇基調に転換。同年10月から3カ月で元の木阿弥となり、そこから8カ月で71%上昇していた。
 「T社」は、いつ迄相場をやっていたのだろう。