昭和の風林史(昭和五七年四月九日掲載分)

小戻すところ売りの急所

買い方の夢は消えた。私の四月、五月は暗かったという事になる。下値は深かろう。

小豆相場は四千円あたりまで下げてどうするかである。
本当の崩れは五月中旬以後からと日柄及び俵の重圧を読んでいる人もいる。そして六月崩しの劇的場面を予言する。
相場の現実はそれよりテンポが速く、売るのが怖けりゃお先にご免と下げ足速める。
売って引かされ、売って引かされ今の買い方には嫌というほど苦労させられたから、誰もが用心する。
しかし環境とみに買い方に離反。これは日柄のなせるわざ。まして高値に突っ張ったその反動だ。
やみくもに買えばよいというものでない。相場には波動というものがある。上げ潮に乗った時の買い方は、さながら無人の荒野を行く如くだが、引き潮に逆らえば、あたら労多くしてしかも流される。
大勢基調は明らかに三段上げ完了して例年通り春の天井をマークしている。
強気は二段上げのアタマ、二月10日の高値を三段上げ波動で抜くと見ていた。
しかし相場は実勢悪というファンダメンタルズで二段上げの頭に遠く及ばず三段上げを作法通り完了してすかさず反転してきた現実は、これは押し目などというものでない。
この下げを押し目だ、押し目だという人は相場用語を知らない人か、腹の中では崩れと思っていても、それがいえない立場にあるか、それとも本心、押し目とみているのかである。
まあ相場そのものの流れを見るより買い方大手の顔色見て強弱垂れる人が多いから、買い方反撃するだろうという他人頼りの相場観になっても仕方ない。
ともあれ悪い相場は悪い。戻したらどうなる? 戻したら更に悪くなることは確かだ。米の値段も崩れる時に小豆だけ野中の一本杉であるはずがない。夜が明けたら安い日が続こう。

●編集部註
 ゴリゴリの買い方は、往々にして下がる理由が本当に解っていない、というより、理解したくない心理が働く傾向がある。
 実際、ある銘柄に対して〝なんでこの相場がいま下がっているのかよく解らない〟と筆者に正直に吐露するトレーダがいた。相場を張るのが仕事故休むわけにもいかない。 
 ただ、このように相場と対峙して素直な気持ちが吐露出来る人は〝解る〟時にガンガン攻めの姿勢を取って儲けるので、トータルでは勝っている。人徳とでもいうのだろうか。