昭和の風林史(昭和五七年三月二四日掲載分)

小豆も相場なら崩壊必至

小豆も相場であるから野中の一本杉で、高値を維持しておれなくなる時が必ずくる。

ヨーロッパの人達が日本を見る場合、アメリカを太陽。日本はお月さんと仮定する。月は太陽光線を反射して輝くもので、月だけの輝きはない。
いま太陽が光を失っている時に、月の輝きはあり得ない。日本は残映による光芒を放っているに過ぎん。
日本経済は、世界経済からみれば、まず順調であるが、いずれ世界不況のウズの中に巻き込まれよう。
国際商品は金も砂糖もゴムも大豆も皆安い。
日本は円安で価格に歯止めがかかるが、景気に敏感な株式相場が、なにかを暗示している。
証券会社の決算が終わるか終わらんうちに株はまた、ドカ安がくるかもしれん。
世間様は物が売れないという。大衆の買う力が弱っている。節約時代でフルーツもお菓子も売れ行きが悪い。まず売れなくなったのが住宅で、次に車。そして衣料ときて食にまで波及している。前にも書いたが学習塾も子供が減った。
昭和初期の不況とは比較にならない大規模な大不況が忍び寄っているのだが、規模が大き過ぎるから鋭角的に伝わらない。
このような事を考えると、小豆村の小豆狂達は小豆の事だけしか目に映らないから極楽トンボ。小豆の三万三千円や四千円は、実に虚的、宙に浮いた値であることが、数カ月を出ずして判るはずだ。
日本経済を太陽、小豆相場を月というふうに置き変えれば判る話である。
小豆だけが野中の一本杉で高値が続くわけがない。
これは小豆のファンダメンタルズの問題ではなく、小豆も相場だからの問題。

●編集部註
通貨は相対評価である。ドル/円相場は1981年1月に一時的に1㌦=200円を割り込んだ後反転。同年8月に245円まで円安/ドル高が進む。その3カ月後に1㌦=213円を記録した相場はそこから82年11月3日に277・46円まで円安/ドル高になった。以降、ドル/円相場は95年4月に80円を割れるまで円高/ドル安の基調が続く。この間85年にプラザ合意があり、時の首相である中曽根康弘が内需拡大をテレビで訴えていた。
では、絶対評価はどうだろう。ドル指数は78年からどんどん上昇し、85年に天井を形成。そこから90年台前半までは下降局面に入っている。