昭和の風林史(昭和五七年三月二七日掲載分)

大穀のチョンボ納会、騒然

山寺やつきそこないの鐘霞む。大穀やチョンボの納会、値が霞む。重大責任問題だ。

大阪穀取は小豆納会でカイはなを、ウリはなに間違えて取引所が百枚の玉を持ちにしてしまった。
東穀も名穀も六千円を付けないと配慮した納会だったのに大穀のみ六千百円と走った。
さっそく大穀に取材電話したところ、交換台は『宇賀常務まだおみえでありません』―と。
平井専務『恥かしい話で、まったく話にならないミスです。目下対策を協議中です。カイはなをウリはなに高台が間違えて百枚です。まったく話になりません』
納会だけに、売り方も買い方もフトコロを見せてしまった。
それにしても取引所が百枚も、持ちにするなど前代未聞だ。
大穀は余程未熟な高台要員を最も肝心な納会に充当したのか。それとも市場でいわれているように、職員が玉を張っていたのか、ともかくこの問題は重大な大穀の責任である。
平井専務は『なにしろ部長が病欠ですから―』というけれど、そんなことは理由にならない。
一昨年秋の大穀事件が忘れかけた時の、またまたの大穀の不祥事件は、要するに大穀の体質が改善されていない証拠で、三役の減報ぐらいで済むことでない。
まず、顧客筋が大穀に対して信用しなくなること。次に当限建玉制限の問題も出てくる。大穀は板崎氏に頼めばよいぐらいに軽く考えているかもしれないが、そんなものでない。
緊急理事会だそうだが、『もう一回納会やり直せ』という声。『専務、常務辞任して責任とれ』とも。
とにかく大穀はタルンどる。売り方は『見舞金出せ』と言う。それは出来ん事だが今回の事件は大穀汚職事件のように責任をうやむやで済ませることは出来ない。こんな事があると相場は決してよくない。

●編集部註
 お怒り、ごもっとも。 ここでキッチリとした倫理観を構築しなかったツケが、現在の日本の先物市場の低迷を招いたのだと言える。
 ラスベガスは賭博の街だが、その裏では厳格なルールが存在する。公設の取引所は、本来それ以上に厳格であるべきだ。
 魚は頭から腐るという。頭は腐ったまま、お上は厳格さを取引員に課し、倫理なき責任回避の不毛なルールが増えていく。
 不毛な書類の束をどっさり提出しなければ取引出来ないお客様はたまったものではない。
 上が誰も責任を取らず、やった者勝ち、逃げた者勝ちが横行する世界に未来などある筈がない。