昭和の風林史(昭和五七年三月三一日掲載分)

追い証入れるか玉踏むか

先日の安値を売った玉が?まって“追証入れるか玉踏むか”と迫られているところ。

小豆三月限納会について大穀は(1)取引員各社にお詫びの表明、(2)業務部の体制を強化、(3)関係役職者の処分(減俸)という事になった。
おとうさんまた減俸ですかと妻なげき―。
取引所側は『非常に初歩的ミスであるため弁明の余地がない』としているが、納会最終節の立会いは事務局理事、市場管理委員長が高台に位置すべきが原則である。この点、大穀は納会を、ないがしろにする所内のたるみがあった。
また市場代表者の集まりである親和会からも取引所側に高台職員の未熟さについて過去に申し入れがたびたびなされていたと聞くが、これが事務局上層部に無視されていたきらいがある。
今回の件は初歩的ミスではなく、一種の積み重ねによる慢性化の不始末だ。
この事は取引員側はよく判っている問題だが、取引所事務局上層部は不徳の至すところか判ろうとしない。
さて小豆相場のほうだが、売っている人からの電話が多くなった。
これは売り玉に追証がかかり踏むべきか、辛抱すべきか思案に迫られているわけで、ここで一発伸びきれば出来高増となる。
辛抱できないという段階がくると必らず電話がふえる。過去の例からいえば五千五百円~七百円あたりは一つの急所である。
市場ムードとしては強気の材料、強気の声、強気の人で満ちている。
花も咲いた。相場も高い。玉は回転、浮いた浮いたである。しかし相場の敵は喜怒哀楽だ。喜ぶな。悲しむな。売り方失意の時は泰然が肝要。

●編集部註
 魚は頭から腐るというが、腐った頭には腐っている自覚はない。「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言した野球選手は監督批判と受け取られ、野球界を追われた。
 夏目漱石の草枕の冒頭にこんな記述がある〝…閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ…〟。倫理観と教養のない政治家なんてそんなものだろう。
 天下国家の未来より目の前のうまい物に転ぶ政治家が明治の頃からいたのか、それとも単に政治家を揶揄しただけなのかは判らない。
 先日「官房機密費の支出、9割が領収書不要」という報道があり、第2次安倍内閣発足から5年で56億、月平均で9千万支出されたと知り、柄にもなく、政治の話題で憤ってみた。