昭和の風林史(昭和五七年四月七日掲載分)

落花帰らず春風憂いあり

四月一日馬鹿天井。あれで頭の低い三段上げを終わった。落花枝に帰らず憂い濃し。

小豆の現物問屋筋は異口同音、売れ行きが非常に悪いし、横の流通(取り引き)は、まったく止まっている。また小豆以外の雑豆は値下がりで輸入採算を割っている―と。

二千五百四十万㌦に千六百二十万㌦の予備枠という事は、定期の二万六千円など決して付けさせないぞという行政側の無言の圧力である。

自由化を阻止するためには止むを得ないという配慮かもしれない。

幾ら枠があっても円安だし、買うものがなければと強気は思うだろうが、中国には一万㌧の安徽小豆がある。これを入れたらよいじゃないかとなる。

「政策には逆らうべし・逆らうべからず」という相場金言がある。

三万五千円以上は感心しないという政策当局の心証を逆なでするような行為は、買い方自ら墓穴を掘る。

場勘の関係で下げるわけにいかない―というのであれば、これは建玉中心主義である。相場を強気するのではなく力を過信した考えで、これは邪道だ。

取り組みは減少傾向である。これは崩れる前兆とみてよい。順ザヤ。そして泣く子も黙るサヤすべり現象が始まっている。

在庫は四月末、五月末と急増カーブを描く。

売れる時期に相場を安くしてモノの消費をはかるのが本当なのに敢えて高値に突っ張って売れ行きを悪くするという事は経済原則に反する。即ち流れに逆らっているのである。

流れに逆らう事は、流れを変えることではない。それだけあとを悪くするのである。

●編集部註
 言わずもがな、投資と投機は違う。株式市場の本分は企業の資金集め。故に、資本にお金を投じると書いて投資と読む。

 一方、先物取引の本分は物価の安定。モノの価格が高くなれば生産者は嬉しいが消費者が苦しい。安くなると消費者は嬉しいが生産者が苦しい。故に相場の高下極まった機会に売買を促す事で価格は平準化する。機会にお金を投じると書いて投機と読む。

 買い方の皆さん、商品先物取引の原理原則を忘れていやしませんか、とここで風林火山は指摘していると思って戴きたい。

 原理原則は英語でプリンシプル(principle)という。今思うと、風林火山は勝ち負けは別として、相場のプリンシプルをしっかり持っていた人であった。故に広告を貰っている主務省でも取引所でも取引員でも横紙破り、怠惰、横着な姿勢を取る者は徹底的に攻撃した。