昭和の風林史(昭和五七年三月八日掲載分)

黙して語るところなしか

待てば海路に日和ありという。閑も相場か。罫線も発言しなくなった。待つだけ。

株式市場のご機嫌が良くない。ロンドン金相場も続落。

日本国内も景気の冷え込みが浸透していく。

親たちの財布のひもが締まるから学習塾の子供が減ったり、お習字などは、先生たべていけないほど子供が急減して、墨硯筆屋さんも売れ行きガタ落ち―と世の中厳しい。

売れてる、売れてると小豆の街は言うけれど、仮需が先行して、実需はそれほどでもないと思う。

ジャスコやダイエーのスーパーでさえ売り上げが落ち込んでいる時に、小豆だけ好調の売れ行きなどあり得ない。それが証拠にザラ場は売りものばかり―と。

誰も見送っている閑な市場で目立つ買い手口を入れると値は締まるように見えるが買いの声だけで玉は抜けているから、次の日に連動しない動きになる。

大阪穀取と協会は来週末13日、兵庫突堤の上組大豆撰別工場の見学会を取引員及びお客さんに呼びかけている。

これは輸入大豆市場振興策の一環である。行ける人は一度みておくとよい。

大豆の市場振興策もよいけれど、これでは小豆の市場振興策もやって欲しいという。これは毎年いま時分になると閑になることは決まっていて、毎年、三越の屋上に鯉幟が立つ頃までの辛抱よ―と書くのである。あれは四月中頃から鯉幟を出すのでなかろうか。

などと話していると、大穀前常務の吉次さんが亡くなったと悲しい知らせを受けた。まだこれからのご活躍を期待されていただけに氏を知る人は愕然。謹んでご冥福を祈る。

相場のほうは春眠をむさぼっている。これも相場のうちと思うようになる。

●編集部註
 当時の物価はどんなものであったか。週刊朝日編「戦後値段史年表」(朝日文庫)を見てみる。
 文部省幼稚園課の調べによるこの年の幼稚園の保育料は、年額で4万3200円。東大の受験料は1万7000円、早大は2万円。早大文科系の年間授業料は34万円、理工系で54万円。大学予備校、研数学館の年間授業料は19万7000円。
 まだ日本に金先物市場は出来ていないが、この年の徳力本店の年間最高小売価格は1㌘=4220円。東京の地下鉄の初乗り運賃は100円で、もう20円足すと山手線の初乗り運賃になった。
 日経平均株価は下り坂。しかし、7000円を割り込むと買いが入る。
 この相場が一転上昇トレンドに変わるのは10月に入ってから。以後8年弱上げ続ける事になる。