昭和の風林史(昭和五七年三月四日掲載分)

潮時くれば勝手に崩れる

相場は人為の及ばざるものなりという事を知っておれば、下がる時がくれば下がる。

ひさかたの光のどけき春の日に小豆の相場のたりのたり。

商いが薄いということは、投機の食欲がないわけで、食欲がないのは体調が悪いか、たべるものに飽きがきたかである。ものをたべないと体力が弱る。セールスも単品取引員も、これでは困る。

上がるか、下がるか相場の居場所が大きく変わると、おカズも変わって食欲が出る。出来高は、食欲のバロメーターである。

上昇トレンドから相場は踏みはずす格好になった。しかし取引員の自己玉の買いが大き過ぎる。
取引員側からいえば今の小豆のポジションは上げ賛成になる。

期近限月も売り方は玉負けである。渡す品物が読めているあいだは、売り方まるでガダルカナル島の制空権を握られた日本軍。

人の話によると、なにによらずモノの売れ行きが極端に悪いそうだ。それは手軽な一杯飲み屋でさえ閑だという。国会が野党の減税要求で審議が止まるのも、国民生活の苦しさのあらわれである。

物の売れない時に小豆だけ売れるはずがない。

そのように思うから相場を売っておこうと考える。

しかし市場理論では、内部要因が下げさせない。

相場というものは、下がる時には自然勝手に下がるものだが、それには時期、潮時がある。

見ていると、どうやらその潮時が来たみたいだ。

売っている人から電話が多い。相場が百円、二百円高いと気になるらしいが、その節の出来高をご覧になれば判ることです。それは実の値でなく虚の値だから、すぐ下がります。春の天井打っています―と。

●編集部註
 まさか現役の相場師に小豆相場で本歌取りされるとは、紀友則も思わなかっただろう。紀友則は、土佐日記の作者、紀貫之のいとこにあたる。
 昨今、競技かるたを舞台にした漫画が評判を呼び、映画化され話題になっているので〝ひさかたの―〟で、ポンと下の句が出て来る人は多いだろう。
 功利主義や合理主義が偏重される世の中になると、古典や教養としての文学の類が白眼視される傾向が。斎藤緑雨も筆は一本箸は二本と自嘲する。現在もその傾向が強い。世界的に反教養主義が席巻しているように見える。 
だが、人はパンのみにて生きるに非ずともいう。何事も、無駄なところにヒントは眠っている。
 経済本を読むくらいなら、絵の一枚でも観て感性を養った方が良い、と古参の相場師に言われた事を思い出す。