昭和の風林史(昭和五七年二月二十二日掲載分)

目先買うほどに重くなる

やみくもに買えばよいというものではない。相場に呼吸あり。下げるところは下げるべし。

金取引所の第二次会員に落ちたら、もう駄目だという悲愴感が取引員経営者にあって、業界の空気は異常だ。すでに第一次会員決定し、取引員資格も、まずまず大丈夫だろうというところは一歩、二歩と駒をすすめている。

それにしても足切りは当業者資格の売買実績(量)と回数など、建前としてのふるい落としの口実が実に巧みに使われ、店によってはこれが無念の涙である。

さればと強行突破するにも時間切れ寸前。状況把握に、とんだ死角があったようだ。泣くに泣けないくやしさをぶちまけるのである。

小豆相場のほうは、中国小豆の成約は量的に相場を圧迫するものでないという空気だ。

五千円以下は立ち入り禁止という強気のムード。

五千円割れを大衆筋が少々売り込んだ格好。これが?まったみたいだ。

買い店のボスたち強気氏は『風林が弱気を書けば書くほど、買い方のあと押しするようなもので、弱気を書くのは、強気の味方である』と皮肉られる。

逆も真なりで確かにそれはいえる。市場のパワーは強気の制空権下にある。だから安値を売ると掴まる。

さりとてどうだろう、六千円を抜く時期ではない。

当限は、これは別だ。

次期枠ゆとりある金額で早期発券説は、とりもなおさず自由化の歯止めという政治的含みもあろう。

相場としてはこのあたりで保合いに入り日柄を横に食うと、あとが重くなる。四千八百円処の急所は上にもっていってから落とさないと割りにくいし六千円の傘を突き抜けるには、四千円そこそこまで落とさないと上げられない。

上げる相場というものは必らず下げるべきところで下げている。それは去年の小豆を見てもいえる。今は下げる時だ。

●編集部註
 まだ、筆者が商品会社で営業マンとして働いていたころ、上記のような風潮が実際にあった。
 後々、罫線で振り返って大きな流れを見ると指摘は当たっているのだが、なにせこちらは戦場の最前線に立つ一兵卒。局地戦やゲリラ戦を戦っているので目先の数字しか見えていない。
 短期売買中心の相場師と長期売買中心の投機家は、人間であるという共通項以外、目の前の相場に対する思考と指向が全く違う。別の生物と思った方が良い?。その昔、古参の相場師にこう言われた事を思い出した。そうなると、市場には短期の買い方と売り方、長期の買い方と売り方の4タイプの取引参加者がいる事になる。存外、自分がどのタイプか判っていない人が多い。筆者自身がそうであった。