昭和の風林史(昭和五七年二月五日掲載分)

下げがきてもよいところ

トレンドの上弦を抜いたから下げが入ってもよいところ。買い方、はしゃぎすぎる。

小豆相場は半値戻しを達成し、五千円を買い切ったのだから、あと三千丁、三万八千円はある―という見方が支配するようになった。

(1)買い方の力が仕勝っている。(2)自己玉の買いが急増。(3)自由化説で売り込んだ玉が?まった。(4)北海小豆の値が突張っている。(5)在庫に圧迫感がない。(6)買い方のテクニックがツボにはまっている。(7)作付け増反の至上命令がある以上、価格は高いほうがよい。(8)大手IQホルダーが輸入に消極的―等々。

地合いは緩みそうで緩まん。こんな強い相場はないと映るのは当然である。

当初三万五千円が目標だった買い方だが、三万七千円から八千円と、目標値を切り上げている。

このようにして、買い玉はふくれあがり高値の買い値になる。

ある人、『去年、一昨年と相場を相場と見て取り組んで、あの上げ場面でひどい目に逢った。今年は相場として考えず、手品のようなものと割り切って買っている。おかげで好成績です』―と。

基調が強いのだから、ついていくだけだという割り切りかたがご正解のようである。

売り方は声なしだ。三分の二戻し三万六千円あたり見ておかなければならないか?。日柄ではいいところにきているのだが、一日に一万枚できる大出来高か、ストップ高を一回付けないことにはおさまらんのかもしれないと思いだした。

強気は勿論強いが、弱気までが、やはりこの相場上値が大きいかもしれないと思うようになったことは、相場もいいところにきた証拠である。

●編集部註
 以前もどこかで書いたかと思う。

 売り屋が売って、買い屋も売ったら、そこが底。買い屋が買って、売り屋も買ったら、そこが天井。

 現在我々は、一つの相場が歴史的な長期相場サイクルが天井をつける直前の場面を読んでいる。

 先般NYダウが下がり、日経平均株価が下がる場面を見てきたばかりなので、今回の文章にどこか共通した何かを感じるものがあるのではないか。

 相場と対峙する世界で暮らしているのが長いと、自然と強烈な値動きに耐性が出来る。

 無感情とは少し違う。勝っていようが負けていようが、あるがままを受け止め、次の展開を考える習慣というべきか。熱くなったら敗けなのだ。

 こういう変動期にやたら見出しで煽る雑誌等を冷ややかに見つめている。ネットというツールが加わってこれまで以上に酷くなったような気がするのは筆者だけだろうか。

 そんなものに踊るのは、相場を張る資格のないズブのど素人だけである。