昭和の風林史(昭和五七年一月二十日掲載分)

目先としては押すべきだ

買い方は、突っ張りをゆるめて、自然に流されたほうが、あとが判りやすくなるのだが。

冬籠りしているような小豆かな。

気味(あじ)としては目先三千円割れ(先限)があってもよい感じで、万太郎の句にある『飲みくちのかはりし酒よ冬籠り』的情景かもしれない。

強気は強気、弱気は弱気、じっと寒さに耐えている。毎年そうだが今時分の寒さが一番こたえる。二月の声を聞けば、なんとなくなまめかしくなるが今は水菜のうまさだけしか楽しみのない時期だ。

待つは仁。きのうも書いた。動かないのは、動くために動かないのだから、動いた時のことを、動かない時に考えておく。

暮の16日に大阪先限で四千三十円が頭になった。一月18日に四千三十円の同値で、これを買い切っていけないようだと、三千円割れの二千八百円まで階段をもう一度降りてくるかもしれない。そのほうが相場としては判りやすい。

台湾の友人から夜遅く電話があって、お正月(25日)に遊びにこいと催促、いつか来阪の折、蛙をご馳走した。こんなにおいしい蛙は台湾にないと、お皿をおかわりして帰った。

彼から、たびたび日本のおいしい蛙を台湾に輸入したいと電話がかかる。お正月にこいというのも、その話だ。土産に蛙をぶら下げてこいという含みもあるが、寒い時は、どこへも行きたくない。まして今頃蛙は冬眠していて味がない。

などと、書くことがないのでほかのことを書くから、風林は玉を持たないと迫力がないといわれる。

玉があってもなくても今のこの相場では、どうしようもないと思う。

●編集部註
 食用蛙を田んぼの鶏と書いて田鶏(デンチー)と読ませて食べさせる中華料理店が都内にもある。
 揚げてよし、炒めてよし、ぶよぶよの安っぽいブロイラーに比べれば、田鶏の方がめっぽう鶏らしくて美味である。
 文化大革命によって、中国本土の文化は受難の時代があった。その難を逃れるべく当時海を越えた書画骨董の類が現在高騰している。中国人が買い戻すべく海外マーケットに入っているからだ。
 食文化は買い戻せない。しかし、文革前に修行した料理人や、その料理人がやっていた料理店は残っている。10年ちょっと前まで四谷にあった済南賓館がその代表例で、この店に中国の料理関係者が詣でて、店主は中国まで料理を教えに行った。
 日本で食べる中華料理が一番という人は多い。それどころか食べ物のクオリティの高さは世界有数、と米国の経済学者タイラー・コーエンは『エコノミストの昼ごはん』(作品社)の中で5㌦で食べられるうどんを引き合いに出して述べていた。