昭和の風林史(昭和五七年一月十九日掲載分)

冬山眠るがごとき相場だが

動かないのも相場。動かないのは、動くために動かないのであると考えればよい。

小豆のある強気『本音と建前がありまして、少し気張って買ったらどうなの?などといわれるが、その気で買えば待ってましたとばかり非難の矢が飛んできます。相場の強弱ではなく近頃のそれは、なんというのですかね、ポジションによる攻撃がきつい感じです』。

思うのであるが、買っている人にとっては早く目的地、即ち利食い地点にとどいて欲しい。

しかし、相場というものは、買い方投機家の利食いが主たる目的でもなければ、売り方投機家の期待を満足させるべく相場が建っているわけでもないから、動かないのも相場で、商いが細っても、取り組みが減っても値段が付くということは、市場が機能している証拠で無理に相場を動かすことはない。

だから動かざること山の如しの相場があってもよいし、静かなること林の如しの場面があってもよい。
要するに投機家のために相場が建っているのではない。そこのところを本末?倒すると相場が判らなくなり、焦りが出て無理をする。

相場は水の流れる如し。これに対するは、流水先を競わず。流れに身をゆだねる。

目先、上げもだえで押してくれたら買いたい。というのは願望である。

月末にかけて一段高があるだろう。というのは思惑である。

問題は相場の心はどうなのか。暴落もなければ、暴騰もなしというのが春の相場である。

相場投機に無難ということはないが、待つは仁で三千円割れがあれば買うというゆとりを持てば判りやすくなろう。

●編集部註
 凪の相場ほど、その後の相場が怖いと感じるのは、筆者だけであろうか。
 相場格言ではよく「放れにつけ」とある。筆者も分析記事を書く際に使う言葉だが、これを実践出来るまで、結構時間がかかった気がする。
 人は、何かと理由を作りたがる。ルールを設定しても、厳格にルールに従って取引を実行せず、何かと逡巡してしまう。その逡巡が、後々の成績に響いてしまう。
 ではこれらのルールを機械に任せてみてはどうか。実際にこの手の売買注文システムやソフトは存在する。最初はある一定の成績を生み出すのだが、しばらくすると利が薄かったり、負けが続き始める。ルールが実勢相場に適合しなくなるのだ。 現在はルールのアップデートをAIにさせてみてはどうかという試みが出始めている。まだ始まったばかりなので、正直芳しい結果は望めないだろう。ただ、トライ&エラーは成長を生む。そのうち、相場を張るのはAIの仕事になるかも知れない。