昭和の風林史(昭和五七年一月十八日掲載分)

月末に向かって高いはず

閑散に売りなし。輸入話で売られれば、申し分ない押しになる。月末にかけて高い。

カネツ商事の清水正紀さんが『風林は小豆ばかり書かずに、他の商品をにぎやかに書いて欲しい。小豆は証拠金が高い。

この分が他商品に回われば倍の商い高になり、商品業界全般が活況を呈することになるのだから―』と。

山大商事の加藤四郎専務が『去年の秋、風林が歩いているのを見て声をかけようと思ったが、まるで雲の上を歩いているみたいで風に吹かれているよう。いけませんよ、あんなことでは。だが、今年はあなたの運勢は素晴しい。今年は最高の年だ―』と。

去年は東京に二回しか行っていない。雑誌の編集にかまけて名古屋にも三回きりだ。加藤さんに見られたのは、きっと川村商事の板崎社長にお昼からお酒を御馳走になり、酔って歩いていた時だと思う。

川村の板崎さんに、お昼はいつもの所でといわれたが、“あたりや”という店のお酒はおいしいし、明進彦さんと一緒だと、つい愉快になって飲みすぎる。折角、加藤四郎さんにほめられたのだから御遠慮した。

上京中に岡地の福富専務御来社。『なんだ風林は名古屋を飛ばして東京とは、けしからん』。お酒が入ると兵学校の将校生徒に戻るような福富さん。世が世なら海軍少将だね?『馬鹿たれ、もうわしは中将になっている』。

相場のほうは清水さんじゃないが語るところでもなさそうな動き。

ただ、方針としては強気である。できたら千円ほど押してくれれば判りやすい。

押して五百円か。トレンド不変。月末にかけて五千円に向かうだろう。輸入話で安ければ、結構な押し目と判断するほうがよい。

●編集部註
 後に創業者が刺殺される事件に発展した豊田商事は1982年に「大阪豊田商事」から「豊田商事」に社名変更したとある。
 この当時、金は上場されていなかった。トウモロコシも上場していない。あるのは生糸、乾繭、綿糸、大豆、大手亡、ゴムだ。今見ても、当時の社会情勢とリンクしそうな上場商品が見当たらない。
 他の国と違って日本では「総合商社」という企業体の力が強かった。良くも悪くもこれが原因だ。
 小豆以外も書いてくれと言われても、このラインナップで他の銘柄の事を書くのは少々しんどいなと個人的には思う。