昭和の風林史(昭和五四年十二月二十日掲載分)

歳末難儀道 雑感 御愛読を鳴謝鳴謝

見ざる。言わざる。聞かざる。そして書かざる。相場道奥の細道行かしむる。御愛読鳴謝。

「さびしさは枯野のみちをゆかしむる 白雨」

きょうで当欄は消える。長いあいだの御愛読を鳴謝。

風林ファンが悲しむ―と言われた。記者冥利に尽きるお言葉である。

紙面は、年末年始の関係で、月曜付けから2頁建となる。これは毎年のことである。

それにしても、くる日、くる日、五千百十何回かを書いてきて、もう、風林火山の時代でもあるまい。

いつまでも小豆相場じゃあるまい―と、自から突き放して自分を見た場合、心が離れてしまう事は、恐ろしいものだと思った。

手亡の相場を見なくなってもう半年以上になろうか。全限日足線二種を毎日引いていたのを半年前に打ち切った。現在、小豆全限二種の日足を毎日記入しているが、これも先限引き継ぎ一本で済むだろう。

ゴム、砂糖、輸大の線もあれこれ引いているが、線というものは引きだしたらきりがない。それは執着がつのるからである。

しかし、心が離れた時、それが、どのように執着していたものでも、なんの興(きょう)も覚えない。

仏教では自我を捨てるとどうなるか。気持ちが楽になることは確かであろう。

相場界では無心ということをよく言う。無心になれば相場がよく見える―と。それは本当であろう。

来る日、来る日、相場の強弱を書きながら、相場と材料にふりまわされていては、無心になれと言われても、これは出来るものでない。

そのような、相場道という立場からも考えてみた。

強弱を書かない記者があってもよいじゃないか―と。

来年は、おさるさんの年。見ざる。聞かざる。言わざる。書かざる―。

●編集部註
 先日も述べたが、元々「風林火山」はエッセイでも何でもなく小豆の分析記事欄である。

 この註釈の欄を担当するにあたり、過去の風林火山を読み返してみて、最晩年の侘び寂びのあるエッセイとは似ても似つかぬロジカルさに、正直困惑した記憶がある。

 ただ、この少し前から「小豆相場に関連がある」という観点から別の銘柄の記述、政治、経済の表記が目立ち始めた。平成の御代でもそう感じるのだから、当時は読み手はいうに及ばず、作り手側からもいろいろと言われていたのではないか。

 ならば、小豆欄から去ればいい。という感じであろう。勝手な妄想だが、差し詰め落語の「大工調べ」で尻をまくって啖呵を切る直前の棟梁政五郎の趣が文中に漂う。

 折しも中東では再び大事件が勃発する前夜。小豆欄から外れても書く事はどんどん出て来る。