昭和の風林史(昭和五四年十月十九日掲載分)

強く見えるが 上値期待出来ない

昔仲買い、いまヘッジャー。投機家はいつまでも犠牲の羊であるならば市場は衰退する。

「山は暮れて野はたそがれの芒かな 蕪村」

相場というものは、高いと買いたくなるものだし、高くなればケイ線の姿も買いになり、自然、強弱観も変化すれば、市場人気は一層寄ってきて商いも弾む事になっている。

だから、柿の実が、まだ青いうちにもぎ取ったりせず、熟すまで待っておればよいのに、ホクレンあたりが、すぐ相場を潰しにかかるから、投機家は、そのような市場から離れる。

ホクレンは、現在の小豆市場では、ガリバー的巨大な売り仕手的存在である事を万人が認めている。

これはホクレンの組織機関の持つ、集荷→委託販売という業務上、当然的形態であるから定期市場をヘッジの場として利用する事に誰びとも異存はない。

しかし、ホクレンといえど定期市場を荒廃させるような事があっては批判が集中する。

そのヘッジ行為にしても、定期市場に見合うような良識ある、かつまた市場を育てるという温情ある態度で接すれば、自ずから相場も育ち市場は活気を取り戻し、ホクレンまた高値で売れる。

たまさか、市場は端境期の品ガスレ傾向と、二万四千円(先限)抵抗の、値頃観、そして売りあき気分などから相場は明るい兆しを見せ、強気見方の意見も聞かれるようになった。

商品の先物市場は、なんといったところで相場が上がってくれなければ商いが弾まない。

穀物を主とする取引員にしても、穀物取引所にしても、年内残りカレンダーの少ない今となって、市場に沈黙されてしまっては心もとないのである。

一時、小豆が駄目なら輸大があるさ―と楽観していた市場だが、輸大取引の構造的実情を知るに及んで一般投機家は市場に不信感を強め、またアメリカの農作物(大豆も含めて)大豊作などから、輸入大豆市場の活況は期待すべくもない。

さすれば、やはり長い歴史を持ち、証取業界を支えてきた小豆という商品そして小豆の相場を、疎かにすることの愚に気がつく。小豆市場は、やはり大切に育成しなければならないのである。

よく商品セールスマンが『お客に儲けてもらわなければ―』という。これは真実の声である。儲かる市場になれば宣伝せずとも人々は集中する。相場のほうは残念ながら大きな上値はなさそうだ。

●編集部註
 「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、十数年前のある老舗商品会社は「お客様が儲ける前に、先ず我々が儲けなければならない」という考えであった。案の定、その数年後にその会社は潰れる。

 この頃は、何だかんだでまだ余裕があった。