昭和の風林史(昭和五四年八月六日掲載分)

甲斐さんのこと 泣き笑い綿花人生

小豆相場は夏休みしたいと言っている。休む時に休んでおけば、再び力がつくものだ。

「船すすむ音なし燃ゆる夜光虫 波津女」

日商岩井の甲斐潤一郎部長は、定年一年前の同社慣例で輸入繊維原料部長を退いて後見人的役職につく。

これはサラリーマンの厳しい捉であるから仕方がない。甲斐さんは『月刊・商品先物市場』のレギュラー執筆者である。

紡績業界では〝綿花の鬼〟とうたわれるほど、こと綿花のビジネスに関して甲斐さんの名は、世界に轟いている。

甲斐さんの青春は戦乱の時代であった。拳銃をベルトに突込み、リュックサックに一千万円の現金を詰めて、中国大陸を綿花買いに転々とした事も今から思えば商社マンの情熱であった。

東棉から通産省、そして日商と、綿花と共に波乱の人生だった。日商社内では、〝上役に強い部長〟として一目も二目も置かれている。

昔、社長と大喧嘩になって椅子を叩きつけた。その頃の椅子は今みたいにスチール製でないから潰れた。

社長は、あとから甲斐さんに言った。君、喧嘩する時は、そばに仲裁に入れる人がいる時だけにしたまえ―と。このひとことに甲斐さんは、まいった。

甲斐部長は大紡績会社の社長からも綿花に関してはプロフェッショナルとして尊敬され、また人間性を高く買われ家族ぐるみのつきあいが続いている。

甲斐さんは、もうすぐそのシーズンがくる、あの苛酷というか、熾烈というか寿命を縮めるようなエジプト綿買い付けのビジネスを控えて、来しかたを、ようやく振り返れるきのうきょうである。

当社では甲斐さんに『商品先物市場』で〝私の武勇伝〟を御執筆願うことになった。

『商品先物市場』で目下、三井物産のサムライ菊池一雄部長が連載で〝商社マン武士道〟を読ませている。この人の文章には、どこか哀愁を感じさすものがある。映画でいうとマイケル・カーティスの『カサブランカ』の味である。

さて小豆相場のほうだが、「人様は夏休み。相場は水飲み場へ」と書いたら、そのようなふうになってしまった。線型としては下値ありである。

その下値は買いである。

問題は、どのあたりまで下げるのか。頭から、およそ千五百円ほどかもしれないと観測する。

相場というものは閑な時には閑なようにすれば難かしくない。

●編集部註 弊社が発行していたこの月刊紙では、各商社で農産品市場に精通した人物が執筆していた。

シカゴ穀物に関しては伊藤忠商事の課長さんが書いておられた。

それがのちに同社の社長となる丹羽宇一郎氏である。