昭和の風林史(昭和五十年四月二六日掲載分)

三軍散じ尽す されどまだ悪し

手亡の悪さが尾を引くのはこれからだ。小豆も黒い五月だろう。手亡の戻り売りが判りやすい。

「チューリップ馬券の屑のまふなかに 赤舟」

手亡の取り組み高の推移をグラフにすると一月の九万枚から二月→三月→四月と斜め45度の角度でなんと二十二万枚まで一気阿成にふえ続けピークに達した。

手亡の取り組みが増勢に転じたのは昨年の十一月新ポからで、当時五万枚。生糸、ゴムとほぼ変わらぬ数値であった。

その当時の小豆取り組みが十一万枚。毛糸が二十万枚を誇った。

手亡が小豆の取り組み線とクロスして上抜いたのが一月発会時分。すでに下降をたどっていた毛糸の取り組み線を上抜いたのが三月の中旬である。

手亡のこのような異常な取り組みの推移を見ていろいろな事が考えられた。

毛糸から手亡に。小豆から手亡に投機資金が移動したこと。結局は、動く相場は人気を寄せやすいということである。

相場が続落していくのに取り組みがふえるという現象は、まさしくミステリーであった。

いま、手亡のミステリーは結末を出そうとしている。

手亡相場はどうなるか。取り組みは今後徐々にほどけていこう。その結果は恐ろしい現象を予測させる。

大衆買いが萎縮して、ピービーンズ七千㌧の圧力が厳然たるものとなる。

六月以降、売り建ては実弾渡しきりの、ぎっしり実のつまったものばかり。

手亡相場にはペンペン草もはえなくなろう。

四千円→三円円→二千円と大台三ツ替わって千丁戻し。

三千円→二千円→千円と大台三ツ破って、一万五、七百円どころから小千丁戻し。

その戻りは、売り方が売る。その目標は一万円ライン下り。手亡相場は、これからも悪いのだ。

小豆に期待をかけようとしている。しかし、これだけ荒漠とした市場に、勢いのある相場は誕生しない。

小豆も五月中は一万七千円が頭になろう。

そういう事を言うと、あすという日に望みがなくなるが、手亡相場の戻りを売る手。小豆相場の六千五百円以下を拾う姿勢。あるいは小豆の七千三百円以上を売る方法等がある。

義理も人情も相場には勝てない。人海戦術また悔いあり。

三軍散じ尽して旌旗倒る。嗚呼―。

●編集部注
アッツ島か二百三高地の如き嘆きぶりである。

だが世間は黄金週間。当節東北では弘前、九州では博多、中四国では広島に150万人以上の観光客が集まる。この頃はどうだったのであろうか。

【昭和五十年四月二五日小豆九月限大阪一万七〇六〇円・九〇円高/東京一万七〇五〇円・一〇〇円高】