昭和の風林史(昭和五十年四月二八日掲載分)

荒漠たる市場 落花枝に戻らず

ジグザグして下値に届いたような動きを手亡が見せても戻りは売りである。小豆は逆張り。

「水草の浮きも得せずに二葉かな 鬼城」

ゴールデンウィークにはいる。飛び飛び休みのあとの三連休。気候はよしで、仕事にならに。相場も、ちぎれちぎれで調子がつくまい。

連休が終わると国鉄、私鉄のスト計画がある。五月は中旬まで、これといった相場にならないかもしれない。

納会が終わって手亡相場は一万一千円の抵抗で戻したりするが、長い目で見ると決してこの相場は楽観出来るものではない。

いまのところ大出来高で玉整理にはいった。売り方の利食い。海外の白系雑豆価格の様子眺め、産地の新穀相場(十月限)の推移、そして以上を感じる天候と、産地の融雪遅れ、春耕遅れなど、ここでもう一度手亡相場を検討してみようというところでなかろうか。

六月以降に入荷が予想されるピービーンズ。この圧迫感はぬぐえない。

輸入業者筋に言わせると、結局手亡相場は八千円だろうと極端に弱いが、一応一万円あたりは常識化された感じだ。

従って手亡相場に対する基本的姿勢は、あくまでも戻り売り。八月限も九月限も、十月減も売ってさえおけばよいという相場だ。

さしもの大取り組みも、もうふえはするまい。手亡相場の怪、手亡相場のミステリーは余韻をもって解明されていこう。

ここで考えておかなければいけないのは、買い方大衆筋が全滅したことである。荒漠とした市場である。すぐに新規は出ないかもしれない。手亡に対する根強い不信感が植えつけられた。

長年、大衆相場の花形であった毛糸が、その取り組み高、出来高を見ていると衰頽を示している。その帰途にとって代わる手亡相場が三軍散じ尽した格好で、すぐに次は小豆だというわけにいかない。

手亡の取り組み二十万枚突破は、ゆうに三カ月の日数をかけている。

その間、買い方は、役者変われどそのすべてが敗北していった。

しかもなお手亡相場の前途は悲観的である。

五月という月は穀物市場にとって、底抜け陽気になれる月ではなさそうだ。

小豆の悪目買い。即ち突っ込み買い。七千三、五百円の戻り売り。

手亡の戻り売り。一万一千円割れ狙い。

そういうところか。

●編集部注
相場とは無関係だが毎年5月3日からの3日間で160万人の人を集める広島フラワーフェスティバルのルーツはこの年のカープ優勝パレードがきっかけ。沿道に30万人が集まったという。

【昭和五十年四月二六日小豆九月限大阪一万七〇〇〇円・六〇円安/東京一万六九七〇円・八〇円安】