昭和の風林史(昭和五十年三月二五日掲載分)

小豆買い方針 手亡に妙味ない

居合い抜きの小豆に市場は毒気を抜かれたが、これでアクが抜けた。小豆は買い方針でよい。

「菜の花や淀も桂も忘れ水 言水」

毒気を抜かれた―という感じの市況だ。

手亡相場の悪い事は知っていた。手亡売りの小豆買いという人気であった。

小豆は大丈夫という安心感を、アッケラカンにふっ飛ばした彼岸の中日の前(20日)の瞬間安は、まるで居合い抜きである。

腰に差したままの刀を抜く手も見せず閃光一瞬の間に相手を切り倒し、刀は、もとの鞘におさまっている。

天災期の波乱にもつれこむこと、こういことは、たびたび見られる。

ストップ安で寄った相場がストップ高に引けたりしたこともある。

しかし仲春三月需要期相場ではめずらしい。

つもりつもっていた小豆相場の疲労が、ドッと出たというしかない。

しかし、これで灰汁(あく)抜けした。

相場も人間の体と同じである。無理はいけない。

無理を重ねると必ずとがめが出る。

大きな病気ではなかったが〝長もちあい〟の疲労が重なっていた。

いうなら〝精神疲労〟である。それが、お隣りの手亡相場の〝ズッコケ〟で小豆に心理的な影響をもたらして崩れた。

小豆は現在、病後の体である。日柄を薬に徐々に体力を回復していくことであろう。無理は、まだ禁物である。だが、疾患は取り除かれた。

小豆相場の、これからの安いところは買い方針でよいと思う。

もう、あれ以上悪くなることはないからだ。

ものは考えようである。高い水準で天候相場に突入するよりは、低い水準で天候相場にのぞむほうが投機家にとっては、どれほどハンディが軽いか。

小豆は買い方針で一貫すれば、報われる。

問題は手亡である。手亡は戻せば売られる体質だ。値ごろ観で手亡を買うのはまったく無意味であるからだ。

安いのは、安いだけの理由があるからだ。

その手亡も、いずれ大底を打つ。問題は値段である。

手亡先限の一万一千五百円あたりは一応の目安だ。

九月限、十月限が逆ザヤで生まれようから、先限引き継ぎ線はそれ以下の値になるだろう。

●編集部註
 戦略と戦術がしっかり決まっている人は強い。

 今回の文章こそ、後にバフェトの金言となる「恐怖の時こそ欲を出せ」を地で行く世界といえる。

【昭和五十年三月二四日小豆八月限大阪一万六七〇〇円・五〇円高/東京一万六六九〇円・九〇円安】