昭和の風林史(昭和五十年三月十二日掲載分)

春眠不覚暁で 小幅の逆張りか

みわたせば西も東も霞むなり君はかへらずまた春や来し(九条武子)という感じの小豆、手亡だ。

「掘りすてて沈丁花とも知らざりし 久女」

11日の朝の朝日新聞三面『ひと』の欄に東繊取の西田嘉兵衛理事長のお嬢さんが写真入りで出ていた。オックスフォード大学で文学博士の学位を得たという明るいニュースで、さぞかし西田理事長もお喜びだろうと思う。

ところで相場のほうは、商いがもう少し出来てくれたらと、誰しも思う。

春眠暁を覚えず―という感じの相場だ。

中国の人は今の季節をうまいこと表現した。

「万葉千紅総是春」だとか「桃李争妍」。「春日遅遅」。「登樓万里春」。「野花撩乱月朧明」などと。「春宵一刻直千金」は蘇軾である。

日本でも菜の花や月は東に日は西に(蕪村)。奈良七重七堂伽藍八重桜(芭蕉)。

のんびりしてしまっては相場も間が抜ける。

強そうに見えたところを買っても駄目である。ガタガタときて悪く見えたところを売っても、これまた駄目だ。

言うところの逆張り相場である。

10日に発表された暖候期予報で注目すべきところは「六月後半から七月前半に低温」という個所と「八月は前線が南下し局地的大雨の恐れ」。「初秋の気温は低目で秋雨が多い」―等である。

この予報に敬意を表して小豆、手亡相場が買われたが、知ったらしまい、あとが続かない。

取り組みの太い手亡はピービーンズ怖いで高値警戒。本命中の本命と見られる小豆は取り組みがない。

しからば、どうすればよいのか。

のたりのたり春の海もいいけれど、相場のたりのたりは困ったことだ。

値一ツ売れぬ日はなしの江戸の春。

小豆当限が小千丁も買われた背景には、春の需要が進んでいることを物語る。

すそものは、すそもので売れ、よいものは、よいものなりに売れてこそ荷動き活発といえる。

定期のほうの人気が春眠をむさぼっているあいだに、末端の現物事情は徐徐に好転している。

丸五商事の伊藤徳三さんは、三月、四月、まだまだ小豆は相場にならないとおっしゃったが、それでは困ってしまう。なんとか激しい動きが欲しいものだ。

●編集部註
相場はいじわるなもので、激しい動きが欲しいと思う時は来ないもの。

仮に来たとしても、それはこちらが思ってもいなかった、逆方向にむけての激しい動きであったりする。

【昭和五十年三月十一日小豆八月限大阪一万七三七〇円・一二〇円安/東京一万七四五〇円・一〇〇円安】