昭和の風林史(昭和五十年三月四日掲載分)

水風呂の辛抱 忍の一字で待つ

新ポ軟調な地合いを眺め迷ったりするとチャブつきの迷路に入りこむ。辛抱、忍の一字の時も必要。

「春山や岩の上這う山帰来 鬼城」

新ポとはいうものの手がかりが掴めない。

金融は、かなりゆるんでいるが、投機市場に流れてくるまで時間がかかるのかもしれない。

5日在庫発表。10日暖候期予報。18日彼岸の入り。

奈良東大寺二月堂では国家安穏の祈祷が行なわれ、これが14日まで続く。

思えば昨年の今時分から筆者は東南アジアのゴム事情視察の旅行をしていた。バンコックの夕方は、電線に燕が目白押しにとまっていた。あの燕が、はるばる日本に飛んでくることを考えていた。マレーシアの首都クアラルンプールの灼けつく日中34度の気温に汗を流していた。日本を留守にしていた時期の穀物相場をいまあらためて古い紙面を繰って見る。

昨年の三月上・中旬の小豆相場は、今の相場同様、手がかりがつかめず、弱含みの一高一低、薄商いが続き、下旬から崩れだした。

去年の小豆相場は二月4日の大底から上昇に転じ三月4日七千百五十円で戻り天井して三月末、中井繊維から栗田氏の大量投げがあって四月2日一万五千二百六十円安値。これが二月4日の一番底。四月2日の二番底。あと一万八千円台に上伸していく。

一年は、瞬くまに過ぎ去って、三月小豆、手亡の相場は年年歳歳花相似たり。

手亡の売り方は、新ポこそ力の見せどころ。

攻防の急所と見て売ってきた。われにピービーンズありと鼓舞した格好。

いかにせん、大衆買いの相場。力に集結性がない。

時期なお早しか。

しかし、強気しても芽が出ぬからと、この相場を売って取ろうと考えた場合、それは非常に危険な考えになるのではなかろうか。

手亡の一万四千円ラインは、仮にピービーンズをバックにした売り攻勢で破れても、長い目で見れば、それは一時的なものであろう。

また小豆相場の一万七千円ラインにしても、すでに天災期の七、八月限は需給より人気という動きかたになりつつある。

月初めの軟調場面で、信念を崩してしまうと、あとあと取り返しがつかないチャブつきの迷路に入り込んでしまうだろう。

相場は辛抱する時は辛抱しなければ勝てない。

●編集部註
 当時、学生運動の火は鎮火はしていなかった。

 国立大学の入試がこの日に行われたが、東大、東工大、一橋大などに爆破予告があり、前年に丸の内で爆破テロが起こっていた事から、厳戒態勢で試験が行われたという。

【昭和五十年三月三日小豆八月限大阪一万七〇八〇円/東京一万七一〇〇円】