昭和の風林史(昭和五八年十月三日掲載分)

2019年10月21日

見出しにならない原稿

長い目で見たら小豆は下げトレンドの中。輸大は天井したあとのゆれ戻し段階。

昨年も十月第二週の月曜、火曜を豊橋乾繭取引所と同取引員協会ご案内の養蚕農家、乾繭検査所、玉糸製糸工場、乾繭倉庫、港湾等の勉強視察に参加させていただいた。

今年もこの月火曜にわたって鶏卵上場に情熱をかける豊橋乾繭取引所と同取引員協会のご案内で五万羽の養鶏所など、百聞は一見に如かず、秋たけなわの遠州路に勉強する。

土曜は関門商品取引所の開所30周年祝賀会で久しぶりの下関。昔は北九州小倉の草深い曽根飛行場から門司港に車を飛ばし、関門海峡を風に吹かれて渡ったすぐが取引所で風情もあった。今はトンネルを抜けたらすぐトンネルで瞼の裏がチカチカする新幹線を降りたら下関もえらいはずれだ。あの新下関駅というのは着いた時も、帰りの時間を待つ間も、なぜかうら悲しさのただよう駅である。

そんなわけで相場も見ていない。相場を見ないということは、その日の罫線も引いていないから旅行や出張が多いと、どうしても原稿は書き置きしなければならず、出張先から電話で原稿ぐらい送れるが、いつも座っている椅子でないと送った原稿が隔靴掻痒で気にいらない。

当たりに当たっている時の記事なら読者も新聞を電話で読み上げてくれと一日千秋であるが、今みたいに曲がっている時は、書く側もよほど気が楽で、でき得れば読まないでほしいという気持ちがどこかにあるから旅行でもして相場のないところに行くことは、半面やれやれという気持ちがある。それではいかんのだがいかんでもそうなるから仕方がない。などと一日分の原稿一本これで書いた。

●編集部註
 糸へんの市場は近代日本の原動力になった、と思っている。その割にはリスペクトが足りない。 安さと効率と利益しか見てない、知識も教養もない丸太棒が、このあたりから増え出した。今は丸太棒ばかりだ。木に物の道理を説いても通じる筈もなく、反知性主義の萌芽はこのあたりから出始めている。
 記事では新下関駅がえらい言われようだが、45都府県を回った身として、この駅周辺の地域はかなり頑張っている方である。
 全てとは言わぬが、新幹線で「何でここに?」と疑問を抱くような駅は大抵、有力政治家が関与している。問題はその先生(或いはその2世)が丸太棒であったか否かで大きく様相は変わる。
 今はどうか知らないが、交易の中心的な役割を担っていた小倉下関のあたりは、その役割を終えた後、丸太棒でない方々の尽力で観光スポットに生まれ変わっている。