昭和の風林史(昭和五八年十月一日掲載分)

2019年10月18日

輸大・下値に抵抗出てくる

輸大は戻りを取りに行くと見て強気が多い。小豆も買い気が出ている。

小豆は買い方待望の産地降霜だが、取り組み減少傾向の中での一部玄人筋と小豆マニアによる薄商いだからダイナミックさがない。

また、もともと零と見ておけばよいといわれる帯広の小豆だから、収穫零の畑に霜があっても零は零という相場世界独特の計算で考える。

罫線としての小豆は底打ち出直りという見方にもなろうが、東北六県内地産小豆も値段が高ければ出てくる。

先限で三万二千円があるだろうという強気の予想。安値から二千丁高は確かに一相場だが果たしてそれだけのエネルギーがこの相場にあるだろうか?

まして人気相場から需給相場に性格が変わり、先行き輸入小豆に関する材料で高下する。

相場の激動は人気の片寄りか、行き過ぎたあとの煎れ・投げ場面だけと割りきれば今の小豆、それほど妙味がない。

売り込んだといってもたいしたことなく、買いついたといってもそれほどでない。先のほうの戻りを売っていけばよいだろう。

輸入大豆はシカゴの八㌦50に抵抗があって、このあたりから反発するだろうという期待感と警戒人気が穀取輸大の下値を支える。

騎虎の勢いだった大衆筋の当たり屋さんたちは高値で玉をひろげてこれに臨増しがかかる。

下げてきた相場に臨増しとは不可解なりといえどもルールの仕組みがそうなっているから仕方ない。市場の人気は依然として強い。買いで大当たりしてきた人達はこのまま棒で下げる相場でないという自信がある。

●編集部註
 人情紙風船―。上記の記事を読み、昭和12年に公開された夭折の天才山中貞雄監督の遺作の題名をふと思い出す。
 20年以上切った張ったの商品先物取引の世界にいると真の勝負師の金持ちは喧嘩しないという事を思い知る。お金の余裕は、心の余裕である。
 常に当たり続ける事は不可能である。ただ、心に余裕のある相場巧者は負け方が巧い。色川武大いう所の「8勝7敗」「9勝6敗」の哲学だ。
 逆に金の切れ目が縁の切れ目。一度くすぶると目も当てらない。心はどんどんすさんでくる。くすぶりの恐ろしさは浅田次郎の競馬に関するエッセイ集を読むと分かる。相場と対峙する上で、この二人の文章は非常に参考になった。
 令和の今、SNSは心に余裕のない文章の博覧会だ。劣化した感情に支配された言葉に触れる度に「衣食足りて礼節を知る」という言葉に疑念を抱く。当節物理的に貧しく心に余裕なき人以外に心貧しき余裕のない成金も増えた気がする。