昭和の風林史(昭和五八年十月一四日掲載分)

2019年10月31日

小豆・売る事のみに徹する

小豆は下げるために努力して戻す格好。下値はとんでもなく深い時代がくるだろう。

相場は上げるために下げる時と、下げるために上げる時とがある。

これの区別を間違えるとえらいことになる。

小豆相場の大勢は、これはもう間違いなく下のものである。将来の自由化含みや輸入枠の拡大傾向など、小豆の世界も今までとは違った次元に移行していくところである。

これを時代の移り変わりというべきか。

いまは、中国小豆の入船が遅れている。現物価格が強張っている。安値叩いた玉が気味悪がって煎れている。強気筋が三万三千円(先限)あたりを目標にしている―等々で、トレンドも下げに抵抗を示すが、これは、下げるための土盛りに過ぎない。

値の上で先限三万三千円はないだろうが、気分の上で二千円台を買い切れば、その後の反動は、かなり厳しいものになる。

政治の流れや世の中の動き、そしてアメリカなど世界情勢から小豆の世界を考えると、いずれなにか激変的場面を迎えるような気がする。

その時の事を思うと上に千丁幅取りに行こうとする思惑がよいのか、下に一万円幅、ピンで80万円の価格革命に乗り切るのがよいのか自ら答は出てくるだろう。

いまそれをいうと人は笑うだろうが上値三万三千円、下値二万二千円。いずれも可能性がある。

もとより一万丁下げという相場は今すぐではない。三(み)月半年ぐらいかかるかもしれない。そのような物指しで、この小豆を眺める目も必要でないか。

輸入大豆のほうが大勢下げトレンドの中で押したり突いたりする。シカゴの線は愈々重たい。

穀取輸大は高値買い玉が〝お辛〟の心境。強く見えても直る相場でない。下げるための単なる戻りだ。

●編集部註
 筆者は、この文章を読んで、別の意味で〝時代の移り変わり〟を感じている。
 筆者が感じていた生前の風林火山の文章とは一つに〝飄々〟、次に〝達観〟であった。
 幸いな事に1960年代後半、主に70年代からの風林火山の文章に触れる機会を得て、そこから感じたものは〝鋭利〟で〝論理的〟な思考のピラミッド。日本語も美しい。
 私見ながら1983年のこの文章は、二つの時代を両方感じさせる。
 上げのための下げ―といった達観フレーズは、とりわけ後期の風林火山がよく用いていた。逆に、ここまでの記述には、こうした達観フレーズが出現する機会が比較的少なかったような気が。むしろ無数のロジカルな刃が飛び交っていた。