昭和の風林史(昭和五八年十二月十九日掲載分)

2020年01月14日

下駄をはくまで判らない

小豆甘いか苦いかショッパイか。勝負は下駄をはくまで判らない。今週が楽しみ。

相場は、むやみに喜ぶなかれである。収穫65万一千七百俵と聞いて買い方は唖然とした。

売り方は、躍り上がった。やや、はしゃぎ過ぎだった。

土曜の寄り付きは買い方が制空権を握ったままの期近限月を強力買いして坂道を転げ落ちそうな車に歯止めをかけた。

相場は人気である。暴落と見た相場が逆に高くなると、売り方のショックはきついようだ。しかし、むやみに悲観するなかれ。

農水省の上層部は選挙後に予想される農産物の自由化問題(アメリカからの圧力)で会議の多い日々である。

強気は65万収穫なら輸入枠を拡大する必要はないという見方だが、臨時枠はこれで無理としても来年四月以降の次期枠を絞り込むことはない。

ひとまず仕切り直しというところか。

罫線トレンドは早くて火曜日、遅くても当限納会後から逆ザヤの無理が、とがめになる動きである。

今回の小豆は大納会ギリギリまで気をゆるせない波乱の展開になるだろう。

小豆相場のプロ中のプロばかりが、時計の針を気にしながら知略、奇略縦横に勝負している図である。

プロのゲームはニヒルである。少々有利になったからと、はしゃぐのは女、子供、素人である。

あと七日と半場の間に、流れがどう変わるか、まったく予断できない。

市場では当限受ける受けるの前宣伝がきつい筋が現受け資金を機関店に融通申し込んだとか、IQ商社が大逆ザヤ定期を操作するのはもってのほか―と、ポジション・ボリウムが高くなる厳しい師走の風。

●編集部註
 はしゃぎたくなる気持ちも充分解るし、実際にはしゃぎにはしゃぎまく った過去もある。しかし、宴の後は虚しいものだ。
 はしゃいだ後は、大抵ろくでもない事が起きると〝相場〟が決まっている。
相場世界でで長く生活しているとこの事を肌身で感じる。目立たぬようにはしゃがぬようにである。
 一昔前、見るからに「相場師」然とした人物の腕には、見るからに高そうな時計をしている人が多かった。浅はかな若造であった筆者は、それを成金の象徴として正直蔑んでいたところがあった。
 しかし相場師たちのロジックは違う、時計は、投資であり貯蓄なのだ。
 あの時、真の成金は腕にオメガやロレックスをつけていた。しかし、私の知る眼光鋭いモノホンの相場師はヴァシュロンコンスタンタンを手に巻いていた。この手の時計は、古くなると中古ではなく〝アンティーク〟もしくは〝ヴィンテージ〟と呼ばれ、いざとなればすぐ現金化出来るのだ。