昭和の風林史(昭和五八年十二月十三日掲載分)

2020年01月06日

小豆は閑中に殺気を感ず

閑中の閑は動の兆候である。油断すると一閃のもとに斬られる。今週小豆崩れん。

商いの薄いことは気にならない小豆の各節で、二枚、三枚の売りハナや買いハナで上下している。

時々、声なし―バイカイなどという限月もあって、あれも人の子樽ひろいではないが、これも相場、淡々と値が付いていくのも師走の風情か。

目先的には強気にさせるところかもしれない。

誰がさせるのかといえば相場がさせる。そして自分がその気になる。

本当は、その気にならないで、黙って見ているところである。そうしたら、ドカ安の口火を切るような場面がまたくる。

輸入小豆の新穀の成約が進まない―というのは現象である。現象は材料である。材料は人の気を左右させる。そして相場は人の気によって高下する。

現象は新しいものと古いものがある。なん回もいわれた現象は新鮮味に欠けるから人の気を、あまり大きく左右させない。だから相場の高下も小幅。

値動きが小幅ということは、高値の買い玉、安値の売り玉ともどもに回転できずにいる。

ところが時間という時計の針は相場が動かなくても動いている。時間が解決するだろうというのはこのことである。いわゆる相場は日柄というのがこれだ。

なぜ時間(日柄)が解決するのか?それは納会がくるということもあるが相場している一人一人の人の生活、人生が絡んでいるのと、社会が活動しているからで、もの事なにによらず起承転結があり、相場が閑で閑でというところは転の部分が転々としているだけで必らず結果がいずれ出てくる。

そのように考えるから、閑もよし。閑中の閑は動を呼ぶ。強気はこの動を上行きと見るが、われわれは下行きと見る。それも深い下を考えるのである。

●編集部註
 今は場の動きをモニタで追いかける。しかし、この頃は基本〝ボイス〟である。
 お金に余裕のある会社はコンピュータの一つもあっただろうが、地方の支店などはボイスからの「○○枚カイ~、△△枚ウリ~、◇◇円決まり」の声を頼りに、壁の相場表に数字が記されたマグネットを張り付けていた。 
 2000年代、ある地方都市の支店に営業マンとして赴任した際、タテ3m、ヨコ2mのマグネット相場表が大活躍。ザラバ取引は一つのモニタを各自の望遠鏡で見ていた。「この支店、長くないな」と心の中で思っていた。
 商いの薄さは、モニタよりも声の方がより寂寥感がある。何しろ、喋るネタがないのだ。一般のラジオ放送であれば放送事故ものである。