昭和の風林史(昭和五八年十一月八日掲載分)

2019年11月25日

手をこまねいて放つ勿れ

信は力なり。持久戦の構え。気やすめの言葉は無用。姿勢を低くして待つのみ。

小豆はどうなるのでしょう?と問われても、当方は曲り屋なので判らない。相場の世界では『当り屋につくより、曲り屋に向へ』という。

曲り屋の逆ポジションをとっておけばよいわけだ。

読者にすれば『そんな無責任な』と御立腹かもしれないが、曲ったら曲ったでどうなるものでもない。

売り玉煎れてドテン買いに回ったところが天井掴みになったりするのが曲り屋の曲り屋たるゆえんだったりするから、逆境の時、すべからく手をこまねいて放つなかれ。

追証を積んで耐えるのみである。大勢観としては大下げありという信念があるから、じたばたしない。

見渡して“強弱論”はオール強気。

現物が高い/入船遅れ/筋金入りの買い方/ホクレン売り値引き上げ/台湾減反/年末需要/在庫薄/交易会成約少なし―等々。

なるが故に〔(1)売り込みの煎れ、(2)凶作相場のアンコール、(3)端境期現象〕で、今の展開となった。

この場面が過ぎると(1)煎れ出尽す、(2)強気支配で高値?み、(3)実需筋の手当ても一巡、(4)台湾小豆の輸入作業に刺激、(5)相場が日柄を食う。

要するに「知ったらしまい」。「買ったらしまい」。「煎れたらしまい」ということである。

市場人気は、まだ上値あり―という。あるかどうかは勢いを見て判断するしかない。あってよし。なければ幸いとする。

曲り屋の心得第一は絶望するなかれ。逆境のとき泰然たり。その二はゆとりをもって追証を積むべし。難平かけるべからず。その三は神に祈るべし。

相場と病気と貧乏は気弱になったらしまいである。持久戦の構えで強い信念さえ持てば必らず凌げる。

●編集部註
 小説家、浅田次郎のエッセイ集に最初から最後まで全て競馬に関する内容で埋め尽くされたものがある。勝ち方や投下資金の配分法等が極めてロジカルに書かれており、競馬初心者には有難い内容となっている。筆者も、ビギナーズラックも相まって勝たせてもらった。
 この本の中には、風林火山いうところの〝曲がり屋〟と同じような記述が登場する。浅田はそれを〝くすぶり〟と形容し、ひたすらにくすぶる事を恐れる描写が出て来る。
 曰く、くすぶりは差乍らインフルエンザの様に伝染するのだという。くすぶりを抱えた御仁に近付いたが最後、我が身にも感染るのだとか。
 故に、今回のような風林火山の身の処し方は、あながち間違っていない。