昭和の風林史(昭和五八年十一月二十九日掲載分)

2019年12月13日

師走小豆は下げると思う

商いが薄い。玉の出具合の値付き。師走小豆は崩れがあると見ているのだが。

輸入小豆が平均して月々五千㌧入荷すると相場は潰れるもので、56年の板崎相場も結末は安徽小豆によるとどめに見えたが、月平均五千㌧の小豆入荷がダムに水を溜めたように満水状態となり、これが相場の日柄も重なって決壊した。

先月五千四百㌧。今月九千㌧。来月六千㌧。三カ月で二万㌧を越す輸入小豆は消費地在庫の水嵩を上げていくわけで、なおその上に一万㌧の輸入可能な外貨枠を残しているから、年末需要最盛期とは申せ、仮需の手が鈍ると師走崩れに入るだろう。

トレンドのほうは時間調整中で、遊んでいる。

やはり消費地に在庫が溜るのを待っているふうだ。

人々は年末にかけて気持ちのよい利食いで越年したい。なかには、引かされている玉が少しでもほどけて頭の上の大きな石が軽くなることを願う。

それが相場の上にあらわれている。

これが来月も月半ばを過ぎる頃には虚子の句の遠山に日の当りたる枯野かなの風景が判り、秋桜子の涸れ涸れて片寄る川に何釣るる―と、自分の姿を、もう一人の自分が眺めたりする。

ところで輸入大豆のほうはどうなるのだろう。

シカゴはもう少し戻すだろう。戻して八㌦30あたりが精一杯のところ。

そのあたりがあるとまた売られる。

穀取は相場の性格は樽の底からお酒が洩るようなサヤすべり型に入っている。相場としては底練りをしたいところ。各市場先限五千百円~百五十円あたりぐらいに戻せば売られる。

そのあたりまで戻してほしいが戻す体力がない。

さりとて、今すぐに先限八百円→七百円もない。

思うに弓を張り旗をあげ百万人行けども日暮れて帰る者なしの相場だった。

●編集部註
 高浜虚子―。正岡子規の弟子にしてホトトギス派の首領。文化勲章受章者。この人がいたから、「俳句=五七五」が現在にも浸透している、と言い切っても良いだろう。同じ子規の弟子である自由律俳句で有名な河東碧梧桐がもっと活躍していたら、よく言えばもっと自由、悪く言えばパンクでアナーキー、もっと悪く言えば明治、大正、昭和と廃れ、平成、令和にはなくなっていたかも…。
 〝遠山に日の当りたる枯野かな〟と、「客観写生」を旨とする虚子だが、それでいて〝去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの〟などといった句も読むから凄みがある。
 「棒」で何だろう?