昭和の風林史(昭和五八年六月二十八日掲載分)

2019年07月11日

小豆続伸、輸大が暴走する

小豆は煎れ終わるまで基調不変。輸入大豆の五千円タッチが早い。輸大が暴走する。

将棋や碁のプロといわれる人でさえ、大きな勝負で形勢が開き過ぎるほど開いて優勢になると、手にフルエがきてポカをする。

それと似たような心境が引かされた玉を持って辛抱していた小豆の買い方のフルエであろう。

利を伸ばせというが、これができない。十分ひきつけたつもりでの利食いが、常に早すぎて、利食いのあとが大きいものだ。

売り方が、もうたまらないと煎れてきた。

産地の天候は今月一杯低温続きの予報で、作柄もなにもあったものでない。

かつて経験したことのないような冷害であり、凶作である。

それだけに相場も、売り方の踏みが終わるまで上昇する。もちろん水準が高いほどブレがきつく、ハッとする下げも入るがそれは押し目で安いところを売り込んだら百年目。すぐ捕まる。

三万三千円ひとまずの値段。それから三万六千円→八千円の相場をつくる。

恐らくこれから新聞、テレビで冷害凶作を大々的に伝えるだろう。

モスクワでは真夏の冬将軍といってオーバーを着るほど寒かったと伝える。

小豆も走るが、隣の輸入大豆が火を噴く。

輸大のファンダメンタリストは、判らんという。小豆が高いから大豆を買うというのは馬鹿げたことだと思うのは当然である。

しかし、相場というものは、その馬鹿げたことが通用する。即ち理外の理である。本当は馬鹿げてなどいないのである。

売り込んだ取り組みが担がれる。場勘戦争は時の勢いでありパワーだ。

しかも大底が入っている。底練り百日の強味である。

輸大は、いまならどこを買っても大丈夫。上は大きい。輸大のS高もあるだろう。怖い相場がきた。

●編集部註
 人はしくじりを重ねると他者の振舞いに優しくなれるような気がする。修行が足りぬもの程、兎角苛烈に他者と対峙する。
 今回の文の書き出しにうんうんと肯き、「でも、わかっちゃいるんだけどなぁ」と遠くを見つめる御仁は少数ではあるまい。それだけ我々は多くの失敗を経験してきたのだ。 それでもまだ相場の世界で生きているのだからむしろしくじりは財産か。
 碁盤のマス目の中心点を「天元」という。当時はおろか今でも常識を逸脱した「初手天元」を実行した棋士が江戸時代にいた。二世安井算哲こと渋川春海。ただ彼の歴史的功績を調べると、この時のしくじりが後々財産となっていた事が分かる。