昭和の風林史(昭和五八年七月十一日掲載分)

2019年07月26日

帯広よりK記者電話送稿

硬軟両軍情報戦争熾烈化して相場乱高下。だがこの小豆はヒネを買うしかない。

七日美幌周辺を80㌔㍍ほど回り、8日北見→日の出→陸別→仙美里→本別→池田を抜けて幕別→札内→糠内→大正から芽室と280㌔を走る。帯広からこの原稿を送る。

この夜10時NHKテレビでは「北海道TEN異常低温・つのる冷害不安」という30分番組を放送していた。

それは今日見てきた畑と農家の話まるでそのままのものであった。

過去に幾度か冷害があったが今年のようなことは戦前に一回あったか、なかったかという程悪いというテレビ内容だった。

昭和39年は小豆反当たり18㌔という悲惨な状況の冷害だったが、農業技術の向上と品種が改良されて幾分底上げされているが、それでも39年より悪い―と。

芽室のある豪農のご主人の話では「実は昨日道庁に行ってきた。それは共済(保険)5%という線で畑を潰させてほしいという陳情です。道庁の方は30%でどうだろうかという話だが、とてもそんなことで駄目だという話をしてきたところです。中間地帯は芽室より更に悪い」。

これを解説すれば畑を潰せば保険は0になる。しかしこのまま収穫のない畑をおいておくよりも5%収穫ありということで保険をおろしてくれ、そうすれば来年のために畑を休ませる。その方が土のために良いという生産者側の要望に対し、役所は30%収穫という線で畑を潰すなら共済をおろしても良いという交渉。しかも潰した畑にはいまからだと蕎麦しか播けないが、その蕎麦の種が皆目ない。そのように悲惨な状況だ。

詳しくは帰阪後、連載する。写真と抜いた小豆等をノートにセロテープに貼りつけたものを現寸コピーして紙面に掲載する予定。

●編集部註
 まるでスタインベックの小説を読んでいるようだ。彼の作品は大恐慌時の米国、しかもその時期の農村が舞台になる事が多かったが、この記事は1983年である。20 01年まで北海道開発庁が存在していたというのにこの体たらくである。
 北海道以外に住む人はその大きさにピンとこない。20年以上前、大泉洋と鈴井貴之が車で北海道212市町村(当時)のカントリーサインを車で巡る番組があったが、あまりの過酷さに途中で挫折している事を知る身としては、上記の強行軍が如何に過酷かが分かる。
 鉄道網もお粗末だ。赤字を理由に更に路線が縮小され、今は昔より酷い。
 新幹線があるのに東京―大坂間にリニアを引くくらいなら、北海道全土に漢字の「井」の形で4本、リニアを引いた方が後々余程役に立つのにと筆者は常々思っている。