昭和の風林史(昭和五九年三月十五日掲載分)2020年04月09日 |
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春まだ浅き冷え込み時代 部分、部分の線香花火的相場展開で永続性がない。燃焼するエネルギー不足の段階。 相場は離れてみよという。 のべつまくなしダラダラ相場を張っていたのでは大成しないというのも、売るべし、買うべし、休むべしの、休むことができないからであろう。 ミクロにとらわれるとマクロが見えない。マクロにとらわれるとミクロで小水がかかる。 相場は欲張ると見えなくなる。不安が出てくると錯覚におちいる。我(が)を張ると真実の流れを見失う。 知識、常識、習慣、信念を盲信すると引き返す地点を失う。情報過多が観察力を低下さす。それは部分に惑わされるからだ。 判っていて判らぬところが古今相場の難かしさであり「難儀道」である。 人間、排泄(はいせつ)するものを調べれば、その人のすべてが判るという。 相場も排泄したものを分析すれば、だいたいが掴めるだろう。 人間の場合の排泄物は、排便、ゴミの捨て方、タバコの吹いがら、会社の退めかた、異性とのわかれ方、親子のわかれ方、友人、遊び、借金の後始末。ほかにもまだあるが、そういうものを調べれば興信所などに依頼する必要はない。 では相場の排泄物とはなにか。出来高、受け渡し高、建玉、取り組み、罫線、手口、ポジション・トーク、材料等、みな相場の排泄物である。 商品相場全般、逆ザヤ銘柄は安値売り込み。順ザヤ銘柄は高値買いつき。 玉が回転しにくいのと、新しい血が入ってこないから、排泄するものも少ないかわり、食欲もない。 ●編集部註 |