昭和の風林史(昭和五九年三月七日掲載分)

2020年04月01日

泣く子と為替には勝てん

相場の土台をゆさぶる相場の為替が少し落ちつくまで関連銘柄は様子を見る場面。

泣く子と為替には勝てない。

金・銀、ゴム、粗糖、大豆等は円高分を下げた。

為替相場について新聞、雑誌、テレビは、今後の影響力と円の高値予想を報道している。

総じて“新しい動きの相場につけ”という基調で一㌦二二〇円→二〇〇円という見方である。

昨年一年間の円相場変動幅は20円圏内であった。これは米国金利の変動幅が一・九%という小幅であったため。

その前の年の57年の円の変動幅は60円圏内であったこの年の米国金利(ユーロ3ヵ月)変動幅は七・七%と大きい。

米国金利が大きく変動すれば為替も比例して大きく動くのである。

アメリカの投機市場はNY株価の反落という変兆を見てとって貴金属市場に資金が移動し、ドル安→インフレという図式から商品(コモディティ)に人気が流れだした。

シカゴ大豆も、その一環でV型の大底脱出を見せている。

ドル安は、その分だけヨーロッパ筋の買い入れコストが下がる。

シカゴにとってはドル安は大豆の好材料になる。

しかし日本でもそうだが、輸入国にとって買い入れ値段が下がった分だけ、相場も下がる。

強気する投機家にとってシカゴ相場が高いのに、円高分だけ穀取相場が安いという難かしい局面に立たされるわけだ。

東穀の米国大豆別建市場は、初もの食いで飛びつき買いした人は商社ヘッジと為替で斬られた。東穀の輸入大豆市場はジンクスとしても市場開設当初に大艱難(かんなん)が襲う。

これ即ち艱難汝を玉にすである。

為替関連銘柄は突風おさまるまで様子眺めか。

●編集部註
 ある意味、今回の記述は生産地相場ではなく、消費地相場を手掛ける側の悲哀といっても過言ではないだろう。なにせ、これまで日本の商品先物は生産地相場を中心に戦いが繰り広げられていたからだ。消費地相場では、変動要因に為替動向が一つ頭に乗るのだ。しかもこの当時の為替である。
 先月中旬から先週上旬にかけ、約11円ドル/円相場が変動しただけで、悲鳴を上げる市場参加者は少なくなかった。
 彼らが80年代の為替相場に触れていたら、恐らく何人か心臓が止まるのではないか。1980年から1982年までの間、相場は50円強動いていた。1983~4年はその半分の25円程度の変動で抑えられていたが、198 5~1987年まではプラザ合意に伴う大円高時代がやって来る。ただその分、この頃エゲツない程儲けた人もいただろう。逆もまた真なりだが…。