昭和の風林史(昭和五九年一月十三日掲載分)

2020年02月04日

小豆市場は先細りである

◇…市場管理とは名ばかりだ―と批判が厳しい。残念ながら信頼を失っている小豆市場だ。

◇…農水省は小豆の臨時枠を出すべきだ―と雑穀業界が活動しだしたというが、数字の上では役所の計算した需給バランスはとれていても、現実には北海小豆の出回りが期待できないし、中国小豆が入荷しないのだから机上の計算と現実のギャップは大きい。

◇…当先の、かつて見たこともない大幅逆ザヤは、農水省畑振の需給計画読み違いによる行政の失敗を、昨年相場で大損したという筋が、千載一遇のチャンスと食いついて離さない。

◇…この間の事情を取引員営業マンはお客さんにどう説明すればよいのか、難かしいし、なかなか理解してくれないから、小豆なんかに手を出してはいけませんと、自然敬遠する。

◇…10月、11月、12月と小豆当限は、連続してのスクイズであった。

品物がないから仕様がないというけれど、そこにはやはり市場の良識があって然るべきだし、いつまでもこんな事が続けば、小豆上場の適格性が再び問われる。

◇…すでに東穀あたり取り組みは細り商いも大穀を下回ることは小豆市場の将来が見えたことを物語り、東穀は、いずれ小豆は前場一節、後場一節でよいという考え方に傾き、IOM大豆の別建市場として活性化を求めようとしている。

◇…小豆が今のような状態なら、ますます投機家は離散するであろう。それは市場に対する信頼性の欠除からくるものだ。

◇…相場の損得の問題以前のものである。

だから『小豆の市場振興策など百害あって一利なし。大衆を罠にかけるようなものだ』と良識ある取引員は冷ややかに見ている。
それは言える事かもしれない。

◇…思うのであるが小豆の時代は確かに終りつつあるようだ。淋しい話である。

●編集部註
 お上は、間違っても「ごめんなさい」とは言わないし、言えない。言うとしたら、長い時間が経過して、当事者が死ぬか死んだ後だろう。
 昨今、謝っている大臣や国会議員を観察すると「ごめんなさい」の前に「誤解があった」「誤解を招いた」という枕詞が付く。要は謝っていないのだ。
 こうして時局は衰退に向かっていく。馬鹿は死ななきゃ治らない―というが、相場と同じで一度行く所まで行ってはじめて大底が出現する。ダメなものはダメなのだ。
 無頼派の作家、坂口安吾はこのあたりの機微をよく理解していた。日本が無条件降伏をしてまだ一年も経っていない昭和21年4月1日に「堕落論」を発表する。
 敗戦直後に読むよりも、令和の今に読んだ方がグッとくるかも知れない。