昭和の風林史(昭和五七年十二月二八日掲載分)

2019年02月07日

値頃観御無用の時代です

小豆は一月中旬に大底が入るだろう。あと五、七百円の安値が見える。

最後の最後まで悪いものは悪いという相場を見て、中途半端な妥協や気やすめが通用しない厳しさの時代を痛感するのだ。それは、体力がない、資力がない、ゆとりがないギリギリのところに、なにもかもきているから、震動を緩和するスプリングがない。ダイレクトに影響する。

それが今の世相である。

相場の世界で「値頃観無用」というのがある。

大納会前日に、よもやS安が入る小豆とは思っていなかっただろうが、それがあるのが相場である。

本年を通じて、たびたび書いてきたが、世の中すべてが、去年までとは違っている。相場も変化した。

不況のドン底、物は売れない。余分な在庫を持つゆとりがない。

業界は体力極度に消耗している。仕手系取引員の惨憺。しかも軍律急に厳しくなにもかもギスギスしている。だから頭の切り替えができていないと、なんの相場でもそうだが、あり得なかったような斬られかたをする。

斬られた側は、なぜ斬られたか判らない。

そのような、この一年のなにかにつけての相場だった。生糸・乾繭然り。ゴム、砂糖然り。小豆、輸大また然り。

それが新年明けて早々と片がつくのか。それとも、あと長々と尾を引くのか。これは休み中の宿題である。

暖冬も大きな影響だ。神の与え給う試練と受けるか、庶民のためにせめてものプレゼントと受けるか。

いやはや、本日大納会。この一年の御愛読を鳴(めい)謝、深謝。

虚子は「遠山に日の当りたる枯野かな」と。

来春は、この句のような相場だと思う。遠い山に当っている日は朝の日か、夕の日か。足元は枯野だが。

●編集部註
 風林火山のこの箴言は、平成最後の年にかろうじて商品先物業界の片隅に生き残る事が今も出来ていている人間からするとぐっと胸に刺さるものがある。
 とある放送業界の方と懇談した際、心に残ったのは、放送業界はバカほど出世が早いのだとか。似たような人間が跳梁跋扈する世界を少し前に見ていたのでよくわかる。
 枕頭の書にマルクスアウレリウスの「自省録」を掲げるような偉い人が業界にたくさんいれば、世界は変わっていたかも知れない。
 もっとも、現実世界でそんな奴は絶対に出世しない。押しが強く声デカく、シンプル頭が持てはやされた時代であった。