昭和の風林史(昭和五七年十二月二七日掲載分)

2019年02月06日

この小豆二万七千円割る

この小豆、へたするとへたする。音もなく二万七千円割れがありそうに思えた。

あす28日は今年の納め相場。あっという間の一年だった。

年末相場は一年の総決済のように、生糸も乾繭も精糖もゴムも小豆もガタガタときた。悪いものは最後まで悪いということである。

小豆は農産物六品目の中に雑豆があり、これが輸入枠の拡大ということで相場の買い妙味を失った。

悪くすると来春の小豆は二万七千円割れ、二万六千円台という場面を考えなければならないかもしれない。

要するに、今年の相場がそうであったように、今までの常識が通用しない。

常識を破るということは一種の革命である。

北海道小豆の荷圧迫と輸入枠の拡大(それが、いんげん、えんどうの枠拡大であろうと雑豆全般の価格低落に拍車をかける)。

景気が上向きとか、市場の投機家が元気なときとか、商品取引員が繁栄している時期ならともかく、雑豆問屋業界も弱りきっている。仮需要による相場上昇は期待すべくもない。

来春は、小豆の値段がすべらなければ超薄商いということになろう。

手亡の二の舞いになるといわれていた小豆だ。そうなってほしくないが、世の移り変わりは無常である。

スーッと二万七千円を割って八千円台の買い玉総投げという、うかうかお正月もしておれない相場にならねばよいがと、近鉄電車の広告じゃないが、お願い乗せて夢乗せて買い方さんは苦しい越年。

●編集部註
 行間から、というよりは当時の新聞をローソクか何かの火で炙ると〝諦念〟の二文字が浮き上がってくるのではないか、とさえ感じる文章である。
 「ハイハイ、終わり終わり、もう帰ろ」という感じであろうか。何も大納会直前まで相場に苦しめられなくても―という怒りと虚しさと寂しさがないまぜになった感覚が混ざり合うと、諦念という答えになるのかも知れぬ。
 この手の閑散市場の隙間を蹂躙する手合いを〝急ぎ働き〟という。相場用語ではない。池波正太郎の「鬼平犯科帳」からの転用だ。盗みの定法を守らずに乱暴狼藉を働くので「畜生働き」ともいう。
 改めて思うと、池波正太郎は小説家であると同時に超一級のワードセンスの持ち主であった。
 そもそも〝犯科帳〟は長崎奉行の判決記録なので鬼平とは何のゆかりもない。
 また、彼の造語である「狗」「密偵」「仕掛人」は、彼が亡くなった後も独り歩きして、後世様々な文章に用いられている。