昭和の風林史(昭和五七年八月二五日掲載分)

2018年09月14日

あとからだんだんひびく

夏休みももう終わる。夏のない夏に変な相場ばっかりだった。小豆の夢も、うたかたに。

三味線も器用に弾きて芙蓉かな―というのは夏の終わりに近いけれどまだ初秋でもないような、ほんのちょっとしたあいだを久保田万太郎は感じたのだろうと思う。

当社の東京の人形町あたり、五、七年前、路地裏の細いところを場の引ける三時頃になると、三味線のつま弾きを聞いたものだ。

富安風生は、法師蝉煮炊といふも二人きり―。

多分、お昼のお膳に、コトコトと老妻がなにかたいていて、そんなふうなところが法師蝉のよさである。

長いあいだ、ひぐらしや―と思っていた。法師蝉と置いたほうがよい。

毎年夏の一番暑い時分に、大和吉野の奥の、かなかなを聞きにいったが、今年はなんだかんだとその閑がないうちに、もう法師蝉がきていた。

当社のビルがいま外装工事中で、窓という窓は足場とキャンバスを張りめぐらせて、そとはなにも見えない。かれこれ三カ月かかるという。これは、本当に、体にこたえる。まいってしまう。大きな紙袋にスッポリ包まれたような具合いで、息がつまる毎日だ。

相場のほうは、これは判らないが、だいたい判る。輸大は、一歩一歩階段を上がるところで、なんとも強い。こうしておいてドーンと行く。その時は利食いだが、ドーンと行って、更にドーンがあるかないか。

これは欲だろうか。

小豆は、安い。流れがそうなっている。

しかし、千円ぐらい辛抱するという人は頑張ったらよい。安くても今週後半二万九千五百円あたり。

そこから千丁戻して今の値段か。九月上旬気を持たせておいて十月秋底をとりに二万七千円だろう。

線がそう申している。

山頭火の「空襲警報るいるいとして柿赤し」。そんなふうである。

●編集部註
 「英霊をかざりぺたんと座る寡婦」(細谷源二)
 「一兵士はしり戦場生れたり」(杉村聖林子)
 「憲兵の怒気らんらんと廊は夏」(新木瑞夫)
 1940~1943年にかけて、当時の治安維持法に基づいて上記の句を詠んだ俳人達、掲載した雑誌関係者が次々と逮捕された。これは後に昭和俳句弾圧事件と呼ばれている。当時、戦意高揚の俳句作成や使う季語に国の干渉があったという。
 種田山頭火は、幸か不幸か1940年に亡くなっている。彼がどのように亡くなったかについては、嵐山光三郎の「文人悪食」(新潮文康)の中で詳しく描写されている。